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人生の区切りを迎えて#05

退職して4週間目に入った自分の変化

■何も変わらない日常
何も変わらない。

当初、毎朝、6時に起きて電車に乗り、会社に向かっていた毎日が、急になくなってしまうことに対して、多分、戸惑いや寂しさが溢れてくるのではないか、と思っていたのだが、本当に何も変わらない。

これは、コロナウイルスの感染が拡大していた時に、リモートワークをやっていたことなどで免疫がついて、自分の仕事に集中できたからではないかと思ったが、ほとんど他人から頼まれる仕事をしているわけではなく、自分で課したnote原稿を毎日、書き連ねることぐらいしかやることがないのに。

他人と話す機会もないのに、話題が尽きない。見たいこと、聞きたいことが次々と溢れ出て、どうやればそれができるのか考える日々。こんなにもやりたいことがあったなんて、会社を辞める前では想像もつかなかった。まあ、結果的に不安に苛まれることなく毎日過ごせることに感謝しつつ、これがいつまで続いていくのかと、そちらを心配する始末。よっぽど能天気なんだろうか?

■変わっていく自分
それでも変わってきたこともある。自分自身だ。現役の頃はあまり気にしなかったが、できればこれから衰えていくにあたり、少しでも健康で元気でいたいという気持ちが強くなった。決して若作りしたいわけではないが、それでも身なりはちゃんとしたいし、肌や筋肉、体の柔軟性などに人一倍気をつけている。

そういう自分に対する関心や興味が出てきたというのは、生きていく上で必要なことではないかと思う。タバコや過度な飲酒が体に悪いと分かっていても止められない人がいるようだが、私は少しでも体に悪いことはしたくないし、できればそういう環境に自分を置きたくないと思う。多分、周りから見れば我儘な生き方なんだろうけど、他人に遠慮する必要なんかない。自分がいいと思ったことをどんどんやってみたい。

「いい歳なんだから・・・」というセリフを聞くたびに、そういうレッテルを貼りたがる人には近づきたくないと思う。結局、みんなをカテゴライズしたい人って、自分がどのカテゴリかを見るために、自分の安心のために言っているに過ぎないから。

■変えない大切なこと
2年ほど前から、朝起きて、ご飯を食べて、身支度をしたら、トイレとお風呂と洗面所を掃除してから会社に行くようにしていた。今ではデスクに向かう前のルーティーンとして継続している。なぜ始めたのか自分でも分からないが、何かを自分に課すことで、それをやり続ける持久力を身につけたかったのではないかと思っている。

それまでは、朝はできるだけ寝ていたかったし、そういうことはカミさんにお任せだったが、生活していく中で自分の役割はなんだろうと考えた時、やれることがこれだったと思う。やってみると分かるが、いやあ、気持ちいい。トイレは汚れがなく快適で、以前、掃除業者さんが来た時に「完璧ですね」とお墨付きをいただいたくらい。お風呂も入りたいと思ったら給湯スイッチを入れれば済んでしまうし、洗面所も夏場の嫌な匂いに悩まされることもない。

自分の価値観や考え方を表現する方法は、何もオフィスでの仕事だけではない。こうやってnote原稿を書くことも然り、トイレやお風呂を掃除することも然り、自分がやっていることを客観的に見ると、ああ、俺ってこういう人間なんだと実感させられるのだ。それが会社を辞めた後でも変わらずやっていられる自分が誇らしいし、こういう生き方がいいなと思っている。

———編集後記———

やり過ぎると
他人に迷惑がかかるという人もいる。
どんな迷惑がかかるか聞いてみたいのだが
どうしてそういう発言になるのか
まったく私には理解ができない。

そういう実績を作ってしまうと
自分のところに要らぬ火の粉が
かかってくることが嫌なんだろう。
まったく論外な話だ。

むしろそういう人にこそやってほしいものだ。
無心になって便器を磨いていると
自分たちが毎日排泄しているものを
受け止めてくれる“彼ら”に
愛着さえ湧くというものだ。

誰でも
自分の身の回りは清潔である方がいいだろうし
綺麗になっていて文句を言う人はいないはずだ。
それはそうありたいと願う人の気持ちだし
ほんの少し時間と手間をかければできてしまう
魔法だと私は思う。

このルーティーンに
毎朝近くの神社にお参りがてら
散歩することを加えた。
200段の階段が待っていて
私の脚力をしっかりと鍛えてくれている。

頂上に到着して振り返ると
私たちの住む街が美しく広がっている。

#人生の区切りを迎えて

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