無駄遣いと有意遣い
おおよそ、お小遣いをもらうようになってか
らこの年までお金を使ってきたが、本当にお
金の遣い方が分かっているかといえば、そう
とは言えない。目の前にある価格に従順に等
しい金額を支払ってきたというのが事実だ。
その昔、ウチの親が家具屋などで値切るのを
見て、本当に恥ずかしい思いをしたので、
「俺は絶対に値切るようなことはしない」
と心に誓ったことを覚えている。
中学生の頃だったが、どうしてもツーリング
用の自転車がほしくて、毎月のお小遣いを少
しずつ貯めたのだが、友だちがあっさりと親
に買ってもらったのを見て心が萎えた。お金
がほしいと、その時は心の底から思った。
またまた月日は流れ、大学に進学すると、親
からの仕送りとアルバイトで得た収入を、自
分の遣いたいようにできると小喜びしたのも
束の間で、なぜかお金がなくなっていく現実
に向き合うことになる。友人達は流行のDC
ブランドのスタジャンに身を包んでいるのに、
なぜか私は名前を聞いたことがないブランド
のスタジャンしか着ることができなかった。
どうして同じようなもので、3万円も値段が
違うのか不思議でたまらなかった。
つまり、お金は遣っているのだが、なぜか満
足度が足りないのだ。欲しいものがあっても、
貯金している途中で我慢しきれなくて、新品
や最高スペックではなく、中古や2番手で妥
協してしまう悪い癖がある。そのくせ後悔ば
かりしていて、お金にまつわる話にいい思い
出はない。
そこで、どうして満足いくお金の遣い方がで
きなかったのか、と考えてみた。そうか、目
の前にある値札どおりに支払っているからだ。
きっとそうに違いない、と勝手に決め込んで、
ここ2週間ほど、じっくりと自分のお金の遣
い方向き合ってみた。
まずは「値札」を無視することからはじめた。
これは勝手に店の人が付けたものだから、無
視して自分で値段を決めてみた。
すると「これで750円はない」とランチの値
段に文句をつけるようになり、納得できない
ところでは食べないことにした。反対にいく
らコンビニで安いコーヒーが買えても、丁寧
にドリップして淹れるコーヒーには500円で
も払うつもりだ。当たり前のようだが、どこ
かでそういうことから逃げていた気がする。
本当に価値のあるものを見極めずに、周囲の
価値観だけで判断すると、結果として本物を
手にすることはできない。きっと、心が満足
していなかったから、お金を消費することに
右往左往していただけだと気がついた。
ぜいたくとか、無駄遣いも、自分の価値観が
ぴったり合えば、堂々と使うことだ。他人に
とっては余分なものでも、自分にとっては大
事にしたいモノや時間が手に入るなら、この
世の中に生きている実感につながるような気
がする。
正直、個人事業主だった頃は、来週、来月に
仕事がなかったらどうしようと、ケチケチな
毎日だったから、家族にも嫌な思いをさせた。
子どもにまでお金の使い途をメモに書かせた
りするなど、ケチ臭い親だったと思う。その
反動もあってか、子どもがやりたいことがあ
れば、お金の心配をさせずにやらせてやりた
いと今は思っている。さすがに小さい頃に躾
過ぎたせいか、子どものほうから「お父さん、
もったいない」と言われる始末。はてさて、
どうしたものか。
みなさんには、ぜひ生きたお金の遣い方をし
てほしいと思う。節約ではない単なるケチは、
自分も、周囲も小さくまとまらせてしまう恐
れがあるからだ。格好さえ付けなければ、現
代の日本において食いっぱぐれることはない
から、今こそ、思い切って自分や子どもに投
資をしてみてはどうだろうか。
今更、私に言う権利なんかありませんけど。
* * *
お金の遣い方は
あれから相当、学び、工夫して
貯め方と活かし方を経験した。
しかし、
いわゆる投資というのはやらずに
もっぱらリスクを取らないやり方を
貫いてきた。
それで老後の生活費は大丈夫か?
と言われるが
私の現時点での計算で言えば
85歳までに死ぬことを前提に
何とか生活していける算段だ。
しかも、
趣味や海外旅行も続けられる
シミュレーションも描けた。
ポイントは
我が家の家計簿を
20年以上にわたって付けてきたことで
生活費と税金、社会保険を
完全に掌握していることにある。
世の中の旦那さんたちは
自分の家のお金がどれだけ
どこにあるかを知らない人が多い。
だから
無駄に心配して
余分なお金を溜め込もうとするが
私はそれを実数で把握している
ということだ。
もし例外があるとすれば
夫婦のどちらかが早く死ぬと
年金収入に狂いが生じるが
それとて最低限のリスクヘッジは
取っている。
人生はすべて筋書きのないゲーム!
だから挑戦のしがいがある。
これから新たなステージに進むのだが
お金のやりくりでも上手くやってみたい。
#あの時のジブン |07