自分史上ナンバーワンを目指して
不安を不安とも感じない強い精神力。そんなものを求めていたのかもしれない。素直になろうとすると弱気の虫が出てくるし、強気に出ると、これまた不可能虫が出てくる。こうしたい、でもこういう障害がある、だからできない。この三段論法がいつも私の思考を遮る。遮られてもそれを笑い飛ばせるだけの自信があれば別だが、そういうわけでもない。でも、ほとんどの人がそういう状態であることがなんとなくわかってきた。
いまの自分がすべてではないくせに、以前の自分やこれからの自分に過度なまでの可能性を期待する。期待するだけならいいが、それを実証しようとするし、すぐに実現しようとする。これも私の悪い癖だ。幾度となく繰り返してきたことだ。そのたびに嫌な思いもしてきたが、その必要以上の慎重さがあったからこそ破綻しないで来れたのかも知れない。
自分をこんなものだと思うこと。それは一見、寂しいようにも思える。自分の可能性に見切りをつけているようで情けない。でもそうだろうか。こんなものだと自然体になって、周りで起こることすべてを受け入れ、そして自分を一歩ずつ少し前の自分と違うようにしていく。この一歩が必要なのかも知れない。一歩はとても小さいし、あまり変わったようには見えないが、それでも確実に進んでいることを大事にできないだろうか。世の中そうそう甘くはないし、
私のように無理をしたくない人間にとって、過度なまでの自己演技は難しい。与えられたものを確実にこなしていくことを選んだのならば、その職人のような生き方を全うできるような方法を考えればいいのではないか。こんなもの、と思うことを素晴らしいと思えればいいと、心から思えるようになればいいのではないか。
いまの私には、家族、企画仕事、原稿書き仕事、そして新たに小論文添削者としての仕事という複数のコミュニティがある。このコミュニティを通して役割を果たし、そしてそれらの複数の顔が私のアイデンティティになっていくことが大切だ。いままでのように、仕事だけで自分のすべてを表現しようと思ったら難しいし、しかもやりたいくない仕事で何かを得ても、結局は物理的なお金に過ぎないということも経験した。
だからこそいま、自分が自然に集中できることからコミュニティを広げて、少しずつ形を作っていってはどうだろうか。いきなり首位打者は無理でも、犠打日本記録ならば練習次第でできる可能性がある。地味だから誰も狙うことはないが、それでもやり遂げると注目率は高い。こういう戦略的なことは苦手だったが、それは自分を活かすべき道はどこであるかを考え抜いて、そしてやり遂げることができるかにかかっている。プロ野球の選手なんてたいていは入団するまではピッチャーで四番だから、誰も犠打の日本記録なんて達成しようとは最初は思わない。でもやっているうちに自分の資質やチーム内での役割、そしてどこで自分らしさを発揮するか、を考えれば、単なる二流選手で終わるか、それとも犠打日本記録保持者で終わるかでは、自分の納得具合が違うと思う。
誰しもホームランやヒットを狙うが、それだけに固執してしまうと、何も成し遂げられずに人生を終えることになる。そうして消えていった選手も何人もいることだろう。自分勝手な満足ではなく、あえて自分が関わることになった“コミュニティ”にこそ、自分の居場所を探し、そして自分らしさを見せていかなければ、結局、独りよがりで人生も終わってしまう。意固地にならずに、しかも個人の自由で、そしてやはりめざすはそこでのナンバーワン。それが他のコミュニティでも認められる最善の方法だと思う。私の選んだ道が例え他の人の興味をひくものでなくても、いや引くものでないほうがいいのだが、ただひたすらに進み続ける勇気とどん欲さを携えていきたいと思う。
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毎日のようにコラムを書き続けていると
当時の自分の心の動きが手に取るようにわかる。
そしてこれから起きうることを知っているだけに
もうちょっとだから頑張れ!と言いたくなる。
若さとはこういうことなんだ。
自分の価値観を確かめ
自分のポジションを気にして
自分がどうなっていくかを見定める。
当時はそう思ってなかったかもしれないが
今となってはその存在が眩しくて羨ましい。
人生の終焉を迎えるにあたってなどと
枕詞を並べる前に
当時の高ぶる気持ちを思い起こし
一度きりの人生をギリギリまで使い倒さないと
37歳の自分に申し訳ない気がする。
20年後のあなたも素敵ですよと
当時の自分に言えるようにしたい。
今日は何だか当時を分析するよりも
その時の自分に思いを馳せて
自分で自分を励ます文章になってしまった。
忘れないよ。
やっぱり自分史上ナンバーワンを
目指さないとね。
この歳になっても貪欲に前に進んで
いきたいと思います。
#あの頃のジブン |68