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玉石混合と振り分けシステム

子どもの日曜参観に出席する。あまり乗り気ではない。というのも小学校の低学年などというのはお遊戯に過ぎず、正直、見ていて楽しいものは何もないからだ。自分の子どもがいるから、という理由以外にいく理由を探すことが大変だった。それでもこういうときに何か発見できないものか、と自分の気持ちを奮い立たせるようになっただけでも、大いなる進歩だといえる。

さてさて、小学校に着くとお決まりのようなご挨拶と、準備不足の子どもたちの進行にいらいらしながら、ドッヂビーの試合場所へ向かう。何?ドッヂビー?どうやら柔らかいフリスビーをつかったドッチボールの亜流らしい。ボールだとケガをしたりするからだそうだが、なんとも物足りない気がする。

しかし試合がはじまってみれば、ドッヂボールに明け暮れた少年時代に戻り“うぉーりゃーっ”と心で叫びながら力の限り円盤を投げるが、結果は“ふにゃふにゃ”って感じで上に上がって相手コートに落ちた。こういうときにクールさを保つのは非常に難しい。努めて冷静にふるまったつもりだが、近所のだんなさんに“ご活躍でしたね”などといわれると…。

気を取り直して教室に向かうと、明らかに1,2年生のころとは違う子どもたちの成長の後がうかがえた。似顔絵、書く文章、係や取り組みなど、気がつかないうちに成長する彼らが逆にたくましくさえ思えた。これは驚きだ!少々小ばかにしていたが、彼らにいずれ引導を渡される日が来ることも覚悟しなければならないと思ったくらいだ。

そのような感慨にひたりつつも、じっくりと子どもたちを見ていると、個性がはっきりしてきたこともよくわかる。今日は、たまたま自分たちの住む街の様子を取材して、発表することになっていたが、リーダー格の子、金魚のふん、かなり自意識過剰の子…。一人ひとりが集団のなかで役割を“演じて”いるではないか。

おおっ、まさにこの年齢からすでに社会システムに順応するための準備がすすめられているわけで、それはまさに玉石混合。磨き方なのか、もともと石なのか、ここからすでに振り分けが始まろうとしている。

小学3年生の夏前といえば、私は父親が春先に亡くなり、母親の実家に転校してきた時期にあたる。頑固で人の言うことを聞かず、さぞ周囲の人は手を焼いたことだろう。あのころの私と同じ年齢の子どもたちを目の前にして、感慨に耽るしかなかった。

気がつかないうちに“その”ための訓練をしていく子どもたち。こういう場所でしか経験できないこと、そしてここでは決して経験できないことを、親はわかっているのだろうか。

学校だけで教育は完結してはいけない、と思った。とにかく広く、大きな視野でものごとを見る経験をさせていかなければならないと思った。彼らのなかに“石”なんかひとりもいない。みんながそれぞれ“玉”であるのに、なぜか石のようにさせられてしまうのではないか。

きっかけを与え、可能性を引きだしていくには自分の住んでいる街も良いのだが、今日ならばぜひ、サッカーを題材にした世界の話題を扱ってほしかった。こういう視点、どうしたら子どもたちに与えてやれるだろうか。

いつも子どもの学校教育などには無関心な私だけに、今日の彼ら姿を見ただけで判断することは難しいが、プレゼンテーションにはまず目的。それをはっきりと宣言させることが何よりも必要だろう。そういう基本的なことを明確にしなければ、何を調べても、何を集めてもまったく意味のないことだ。

目的と手段。これを明確にして今日の発表があったら、きっと私も小学校教育に、俄然、興味と関心をもって接していけると思うのだが。

*****

またまた
20年後の世界で同じことを感じてしまった
ジブンがいた。

いつになれば人は
目的と手段を明確に分けることができるのか。


目の前に出されたツール(=手段)を
取り扱うことが主になって
それを使って何を実現したいのか
伝えることができない。

できないというよりは
しようとしていないと言った方がいい。
そんなことはどうでもいいとでも
言いたげだ。

ツールを上手く使いこなす
その技量を自分の能力だと勘違いすることで
本来実現すべき目的を
見失ってしまうことになる。


子どもの参観日に見た景色は
その予備軍が
先生たちの用意したツールを
上手に使いこなしたに過ぎない。

そうか。
それを当時の私は
脅威に感じていたのか。

そうならば
もう少しの間
人材としてもポジションは安泰
だな。
まだまだ使えるな。

ひっかけのようなテクニックのしくみを
早々に手に入れて
私に引導を渡していただきたいものだ。


#あの頃のジブン |30

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