歴史快道を自転車で往く#15
東海道
15)吉田宿〜二川宿篇
御油の松並木を越えて少しいくと、豊川稲荷のある名鉄国府駅に到着。
全国から参拝者が訪れる商売繁盛の“お稲荷さん”で、日本三大稲荷のひとつに数えられ、商売繁盛のご利益で全国的に知られる。 曹洞宗の寺院で正式には「妙厳寺」といい、約580年前の室町時代(1441年)に創建されて以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公などの武将や、渡辺崋山など文人たちからの信仰を集めてきました。
(ウィキペディアより引用)
豊川稲荷は神社ではなく“お寺”だったとは、その時初めて知りました。ちなみに、この名鉄国府駅の国府は“こう”と読み、この地域の方でないと馴染みのない地名です。
メイン道路から一本、裏手に入ったところに東海道があり、そこをひたすら走る。走る。すると、目の前に<豊橋市>という境界を示す看板がお出ましになった。
いよいよ愛知県の東端まで来た!という達成感に包まれ、さらにその先にある県境があることを思い出したが、なぜか京都へ行った時のような“お国感”はあまり感じませんでした。
そして、いよいよ豊川にかかる豊橋を越えて、吉田宿のある豊橋市街地へ。
ここらあたりは、豊田、豊川、豊橋と、肥沃な濃尾平野と豊富な水源によって、昔から本当に豊かな地であったのだろうと思わざるを得ません。
しかし、橋を渡ったところにあった、この辺りのことを説明している案内板を読むと…
このあたりは西ツ家(四ツ屋)と称され、家屋がまばらにある河原同然の土地であった
とある、本当かよ!と叫びたくなるぐらいで、先人たちが苦労して切り拓いた土地なのだということが分かりました。その後の繁栄ぶりが伺えますが、やっぱり、目をつける人がいると、今までにないような発想で街づくりも進むのでしょうね。
もうすでに宿場町としての面影は少なく、国内でもかなり少なくなった路面電車が走る地域として有名です。夏場には車内でビアガーデン列車、冬場はおでん列車になる催しを開催するなど、市民との繋がりは単なる交通機関の役割を超えた存在になっています。
クランクになっている市内を走る国道1号線を通り過ぎ、県道3号線に入ったところのすぐに<JR二川駅>があります。ここは東海道線のJR豊橋駅から一つ目で、愛知県の最東端の駅になります。
二川宿が愛知県の最東端になり、これから東に進むと静岡県に入ります。
次回からの静岡編ではトラブル満載!ぜひ、みなさんご期待(?)ください。