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歴史快道を自転車で往く#06

中山道
⑥大津宿〜京都三条大橋篇 & 比叡山/醍醐寺


長期休暇を利用して、今回、宿泊した草津。立ち寄った地元の銭湯♨️はとでもディープで、地元感満載でした😆

■ 唐橋を制するものは“街道”を制す
翌朝【草津宿】まで戻りました。ここからは市街地を走るため交通量が多くなり、気をつけて走らなければなりませんが、差し迫った渋滞もなく順調に距離を稼ぐことができ午前中に<瀬田大橋>までたどり着くことができました。

瀬田の大橋

戦国時代には、「唐橋(瀬田大橋)を制するものは天下を制す」と言われたようですが、今でも交通の要衝であり、戦略的、文化的にも重要な場所だと思いました。

大津から京都三条大橋までは約13キロ

さて、何故、膳所神社膳所城の痕跡を確認したかったかというと、何年か前に高校野球で膳所高校の名前を知り、そのネーミングに興味を惹かれたというのが理由です。

■天皇の召し上がりものが起源
天智天皇が都を大津へ遷したとき、当地を御厨所(厨=料理をする所)と定めたようで以後「陪膳(おもの)の浜田」(おもの=天皇のめしあがりもの)となり、それが“膳所”となったのは「陪膳の所」と言う意味だからだそう(社団法人 びわ湖大津観光協会のサイトより)。

膳所神社⛩️
膳所城🏯跡 石碑

→→→大津市ツーリング中

さあ、残すところ京都までは後少しなのですが、せっかくここまできたのだから、比叡山延暦寺も見ておきたい衝動に駆られました。自動車でカミさんが来ていたので、そのまま自転車を折り畳んで載せて比叡山ドライブウェイへいざ突入!

ここから見る琵琶湖と大津市内の景色は最高ですね。天気も良く、とても気持ちが良かった。

比叡山から見た大津市内

そのまま延暦寺にも訪問。学生時代に来たイメージとは明らかに違っていて、とても明るい観光地になっていたのが印象的でした。

比叡山 延暦寺

それでは終わらないのが【歴史快道】のいいところ。山科あたりまで来た時に、これも次いでの次いでで、<醍醐寺>も観ておこうということで、京阪山科駅から少し南下しました。

醍醐寺に向かう途中に、偶然、<明智光秀の銅塚>を発見。民家の裏手にひっそりと祀ってありましたが、地域の人たちに大切にされていることが分かりました。近年の大河ドラマで放映されましたが、謎多き人物で、治めていた丹波国ではいまだに尊敬を集めるほどであったと聞きます。

明智光秀 胴塚

醍醐寺といえば、豊臣秀吉の醍醐の花見が有名で、さすがに敷地を見れば、その壮大さが目に浮かびます。平成6年12月に「世界文化遺産」に登録されたことで、まずます観光客の人たちも増えるのではないかと思います。

醍醐寺 正門

さあ、寄り道はこれくらいにして、札の辻を抜けて、京都三条大橋までひと踏ん張り。

かつて京阪電車は坂道を懸命に登る姿が愛おしかったが、今では地下化されてしまって、その勇姿は一部でしか見ることができないらしい。

京阪大津線 札の辻

電動アシスト自転車の威力を発揮!この逢坂の坂道も軽々登っていく姿はかっこいい。常夜灯を横目に見ながら、蝉丸神社を過ぎて、どんどん京都に近づいていきます。

逢坂常夜灯
五条別れ道標

東海道筋にある狭い住宅街を抜けて、いよいよ京都に自転車で乗り入れます。京都の人は山科を京都と呼ばないらしいが、本当でしょうか?

日ノ岡の峠道

やっと京都三条大橋に到着(寄り道し過ぎ)!
その南東の角に、御所に向かって土下座をしている方の像を見つけました。京都に学生時代に4年間も住んでいて、この銅像の存在すら知らなかったのはお恥ずかしい。

この像の人物は高山彦九郎という方らしく、1747年上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市)に生まれた思想家だそう。生前に吉田松陰とも交流があるらしいが、誰が、どのような目的でこの像をここに設置したかは不明。

高山彦九郎 銅像

今日も京都は観光客で賑わい、そして暑く、いつもの京都らしさを見せてくれていました。

三条大橋

ようやく西のゴール地点、京都三条大橋まで、電車や自動車も使って、乗り継ぎながら辿り着きました。達成感があるか、と言えば、まだ東側の歴史快道はあるので、まだまだ挑戦していきたいと思っているし、続けなければ意味がないと思っています。

だから、またまた自転車旅は続きますので、ご愛読のほどよろしくお願いします。

Coming Soon!

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