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出会いと別れの繰り返しが人生
みなさんはこれまで、どれだけの出会いと別れを経験してきただろう。ある程度の年齢に達した方であれば、出会いの数だけ別れがあることを、自身の経験をもって知っていることだろう。それは他人だけではない。若き日の自分に別れを告げて、今に自分に至るわけだ。「あの頃はよかった」などと感傷に浸ることが多いのかもしれないが、私は二度と過去には戻りたくないと思う。
それはこれまでの人生の過程が、基本的には悲しみ苦しみに満ち溢れていたからだ。いや、そんなことはない。嬉しいこともたくさんあっただろう、とご批判される方もいると思うが、嬉しいことがたくさんあればあるほど、悲しみも多くなるということをご存知だろうか。
両親と楽しい日々を過ごした先には、彼らを失ってしまう悲しみがあり、青春時代を共に過ごした仲間たちは、それぞれの家庭を持ち、共通の時間が無くなってしまう苦しみがある。そして、結婚して子どもが産まれても、パートナーが病気を患ったり、子どもがいじめにあったり、会社で思うように認められなかったり、つまり、自分の力ではどうにもならないことが、これでもかと襲いかかってくるのだ。
だからといって、刹那的に生きてきたわけではないが、いずれやって来る物理的、精神的な別れを、経験するのはもう嫌だと、心の中で叫び続けてきた。だから、良いことがあっても喜び過ぎず、悲しいことがあっても過剰に悲しがらず、できるだけ感情の起伏を抑えながら生きていきたいと思っている。だが、なかなかそうはいかない。若い頃ならともかく、まもなく還暦を迎えようとするこの歳になっても、まだそれぞれの感情を抑えることができずにいるし、むしろ、その先にやって来るであろう悲しい出来事を想像して落ち込んでしまう。
ならば出会わなければいい。そして、世の中のあらゆる悲劇から目を背けて、喜び溢れる出来事を見ないようにして、自分の心の平穏を保ちたいと思ってしまう。でも人間は、誰かに関わり、役割を果たし、そして喜びも悲しみも、自分の感じるままに受け止め、表現して、誰かに伝えることが、何よりも生きる喜びだと知っているから、分かっていてもそこに行き着いてしまうのだ。
これまでの人生で経験した悲しみが深かったのは、たぶん、その分、喜びが大きかったからだと思う。その時は嫌な思いをしながらも、今の自分を形作っているのはすべてその経験があるからだと分かっているし、それを超えてきた自分を誇り思える。
世の中では、今でも、理不尽に命を奪われ、住む土地追われ、未来への希望を失ってしまった人たちで溢れている。そんな中で何を贅沢な話をしているのかと怒られそうであるが、そうでない、一見幸せそうな社会にも、誰にも理解されない、理不尽さは存在する。それぞれの絶望の中で生きるしかないと思った時、人は、命を断つか、もがき苦しみながら生きるかを選ぶのだと思う。その選択に、良いとか悪いとかはないと思う。
#いま時のジブン