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生きていく中で何度もやってくる山と谷

前回のお金のことがなんとなく続いている。緊張感というか、そういう共通意識が妻とのあいだで十分ではない。何とかならないことを何とかするために、毎日、働いているわけだが、その区分けの理解がされていないような気がする。要するに足りない分を補てんするためにパートに出るのではなく、その前にお金の使い方を見直していかないと、結局、増えた分だけ同じことの繰り返しになる。その月の中で支出できないものはできない、と割り切って止めないといけないのに、それを支出して赤字になったでは納得できない。そのことをお互いに話しをした。我慢すべきは我慢すべき。そんなはっきりした生活をしていかなければ、お金も貯まらないし、生活のメリハリもなく、ただ過ごしていくだけになってしまいそうだ。

こんなお金のことでとやかく二人が話しをすることは嫌だが、現在の状況では仕方がない。たまたま人生の波のなかの下っている地点にいるわけで、それ以前はそんな心配をしなくてもよかったわけだ。しかし逆に、その時の私は心身ともに疲弊しており、それが解放されたことで前向きに仕事にも取り組んでいけている。そういう状況を勝手につくったのは私ではあるが、だからこそ家族でいる理由があるわけで、単純にそうしたいのであれば自分でやればいい話しだ。確かに妻の言い分もわからなくはない。目標が見えてこないことに対する苛立ちもあるだろう。

毎日、何を家族の目標とするべきか、の答えを私自身がもっているわけでもない。家を買う?海外に移住する?すべてあまりにも遠い夢になっているからだ。いや、それでも私自身は前向きに生きているつもりではいる。ようやく書くこと、考えることを生業にできる仕事へのきっかけができそうな状況の中で、いまは辛いかもしれないが40歳までの3年間で一つの答えを出したいと思っている。いまはただ単純に毎日を過ごしているかのようだが、その思いは日々強くなっている。

だからここはとにかく辛抱だ。人のことで我慢させられるのはたまらないが、自分のことならここですべて犠牲にしても仕方がない。ただし家族にも同じような思いはさせてはいけないので、稼いでくるしかないのだ。でも家族のために我慢しているという意識もない。これは人間として、夫であり、父親である私の役割なのだから。その責任が果たせたうえで自分の我慢がある。こういうお金の話もつらいけど、これもまた我慢。一生続くとは思っていないし、その日のために、もう一度飛び上がるために、十分に縮んでいる最中である。こんな時期にピロリ菌が見つかって除菌したり、身体の不調が出てきたり、と忙しくては見過ごしてしまいそうなことをやれることが幸せだと思っている。前半部分で書いていることを見れば誤解を受けそうだが、発生しているすべてのことに感謝している。これが私のでこぼこ人生の流れなのだと。

弟が亡くなったことで、まさかこんな人生になるとは夢にも思っていなかったが、亡くなってしまったものは仕方がない。ここからどう生きていくか、を考えてやっていくしか方法がないだろう。あまり器用に自分を変えることができる性格でもなく、このままやっていくしかないだろう。どうやったら自分を満足させることができるのか、だけ考えている毎日だ。

今日で一応、仕掛かっている案件はほぼめどが立った。これからは新規案件を獲得しなければ収入の道も閉ざされてしまうから、また暑い夏が続きそうだ。もう60年に一度の年だとか、弟や親父が見ているから、という他人任せの考え方はなしにして、一つ一つを確実にものにできるようにしていきたい。

*****

この後に何度もやってくる山や谷を
振り返ることができるのは幸せなことだ。

人生が
その繰り返しであることもよくわかった。

その先の平坦な道が
つまらないこともわかった。

そのワクワクとヒリヒリが
適度に仕組まれていて
その都度悪さをすることになる。

37歳の時点でここはとにかく辛抱だとは
よく言ったものだと感心するしかない。
どんなに辛かろうとも顔には出さず平然と
幸せそうな笑みまで浮かべて
ただひたすら嵐が過ぎるのを待つしかない。

いつになったらそこから解放されるのか。
言いたくなる気持ちはわからなくもない。
ただわかったところでその先は遥か遠くだ。

その先にあるワクワクとヒリヒリは
知らない方がいいと思う。

知っていると期待してしまうし
できるだけ平坦な状況を
作り出してしまうから。

凹むときは思いっきり凹み
凸るときは思いっきり凸れ!

そうすることで本当の痛みを知り喜びを知る。

今の私だからそう言えるのだ。
あなたの持っている可能性を信じてほしい。

#あの頃のジブン |61

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