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人生の区切りを迎えて#07

退職して5週間目に入った自分の変化

■モノがきちんとされていく
もともと整理整頓が好きだ。

モノがあるべき場所にある、もしくはなくなっていく、ということに快感を覚える。

デスク周りは最たる場所だ。
ディスプレイを新調し、周辺機器が収まるように棚を設置して、色も統一してみた。それでも少しずつ位置を変えたりして、家族からは、よく飽きないねーと飽きられている。

カミさんお手製ディスプレイカバー


これまでの人生で17回も引越しをしていると、その都度、記念品の類は失われていき、過去の自分を証明するものはほとんど残っていない。辛うじて大学の卒業証書は棚に置いてあり、学歴詐称の疑惑は拭えた💦

紙で残しておいた過去の企画書も、ほとんど廃棄した。これが自分の仕事の証だし、家族を養ってきた…いや、俺が死んだら誰も気が付かずに捨ててしまうだろう、と考えると、私の手で葬ってやらないと浮かばれない。ありがとう😊と声を掛けながら、ゴミ袋に収めた。



■コトもきちんとされていく
モノが片付いていくと、不思議とコトもカタが付いてくる。

話はそれるが、就職して関西から東京へ引っ越した時、マクドがマックになるのは少し抵抗があったけど、まぁまぁ受け入れられた。でも、どうしても違和感があったのが「片す」という言葉だ。「片付ける」ではなく「片す」とは何ぞや、と。意味は分かるけど、なぜ、そこを端折る?と疑念は払拭できず…。

話は戻って、コトのこと。
これまで仕事にかこつけて、普段の生活に必要なことはカミさん任せだったので、これも経験だと、今日は市役所、明日は社会保険事務所と、あらゆる事務仕事をこなしてみた。いや、知らなかったことばかり。私たちが生活していくために、いわゆるエッセンシャルな仕事を受け持ってくれている人たちに触れて、自分の生きていく力の無さに愕然とした。

彼らの力を借りて、税金や健康保険、そして大切な年金のことが、少しずつ片付いていくと、こんなに晴れやかな気持ちになるのかと思うと同時に、政治への関心も高まっていく。まるで自分の中のコトが綺麗に整理整頓されていくかのように。



■ミライに向けて整えていく
モノやコトが片付いていくと、過去から現在はある程度、見通すことができた。

さあ、ここからは自分たちの未来のことについて考えていかなくてはならない。

つまり、これから年老いていく自分たちは、どうあるべきか、ということ。退職しようが何しようが、人生や生活について考えるのを止めるわけにいかない。

noteや動画などを見れば、先輩諸氏が経験談を載せてくれているが、それはあくまでもその方の人生であって、自分が同じようにできるわけでもない。

むしろ、これまでやっていないことをやってみたいという思いが、ふつふつと現れてきた。退職する時に後輩たちから言われた「羨ましい」という言葉を、名実ともに実践して、亡くなってからも、同じ言葉を聞いてみたい。

そう思うと、縮こまってなんかいられない。
今日も電車に乗って会社に向かう人たちを尻目に、朝の散歩に出かけ、高い山の上から街並みを見下ろし、これから始まるな、と思いを強くしたところです。


———編集後記———

また何処かで書きたいネタではあるが
前の会社を辞めてから
もう20年近く会っていない友人たちから
声を掛けていただく機会が増えた。

単に私が日々の忙しさにかまけて
彼らの応答に応えていなかっただけなのだが
そういう不義理な私に声を掛けてくれる
ことが何よりも嬉しい。

以前にも書いたが、私は他人が思う以上に
実は人見知りをする人間なのだ。
そう思われないために
サービス精神で面白いことを言ったり
することが多いが
本当は静かに一人で妄想・迷走?している方が
合っているのだ。

だからこういうお誘いを受けた時
どうやって応えようか考えるのが辛く
不義理をしてきたというのが本音である。

歳を重ねて
少しは本当の自分で接することも
悪くないと思い始めたのかもしれない。

来週お会いする人も20年ぶりの再会。
お互いにこれまでの積もる話を
しようと思って楽しみにしている。

#人生の区切りを迎えて

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