人生の区切りを迎えて#11
なぜかドーパミンが出まくるゲージュツ。
■旅の締めくくりにはアートがいい
退職以前から、できるだけ定期的に海外旅行に行くようにしているのですが、ここのところ、必ずといっていいほど、最終日に、その地域の美術館を訪れることにしている。
取り立てて芸術肌というわけではないのですが、その地域ごとに特色のあるアート作品に触れることで、何か現地の方々の息遣いが感じられるのではないかと思うし、何よりも入場料が無料になっていることも多いし、写真撮影も許可されている場合がある(フラッシュは厳禁ですが)。作品はどれも大切な文化資産ですが、誰にも見られずに保存されるだけでは、その芸術的な価値は広がっていかないと思うので、その姿勢にも共感している。
常設展示よりも、季節ごとに行われる企画展の趣向に興味がある。狙っていくというよりも、たまたま自分が行った時にやっているものを見ることになるが、とにかく若手の前衛的な表現に触れると、なぜか心がドキドキしてドーパミンが出まくっているような気がする。
■子どもの頃から育まれる芸術的な感性
アジア圏、特に私は台湾へ行く機会が多いのだが、台中にある【國立台灣美術館】に感動した。台湾の首都は台北だが、国立の施設が台中にあるというのも面白い。そして入場は無料。館内に入ると係員の人たちが、最初に中国語、次に英語、そして日本語まで、入場者に合わせて言語を使い分け、ていねいに入り口までの誘導をしてくれる。
すると、普通の美術館では聞かれない子どもたちの響き渡る声。そう、台湾では小学校の低学年ぐらいから定期的に美術館に訪れて、学芸員さんがしっかりと作品について説明をするらしい。こどもたちも作品や作者の意図が分かるわからないは別として、日常的に芸術作品に触れることができるというわけだ。
その上、彼らが作った作品を展示するスペースも確保されていて、いつでも見ることができるし、子どもたちが作品に触れながら、その成り立ちを理解することができる施設も用意されるなど、とにかく美術館がアクティブなのだ。日本にこういう施設があるかは不明だが、授業の合間に美術館へ行く機会が頻繁にあれば、私だってもう少しは感性が磨かれただろうにと。
■絵というビジュアル以上に漢字の表現に感動
私が訪れた【國立台灣美術館】では、その時、<國美典藏臺灣早期書畫展>なる企画展が催されており、入り口にあるタイポグラフィの美しさに、もうすでに魅了されてしまった💦
書畫というくらいなので、油絵や水彩画などの他に、いわゆる“書”が展示されているのだが、そこは私たちと共通の漢字ゆえに、その多彩な書体に息を呑んだ。英語やハングルのような表音/記号ではなく、文字そのものが意味を持つ“表意”であることが、まるで詩のように紙に刻まれていて、何年経っても色褪せることのない奥行きのある墨の色が、私の心を掴んで離さなかった。
作品の数々は、別の機会にご披露することとして、そこには戦前、台湾で過ごした日本人たちの足跡がいくつか作品として残されていて、同じ時代を同じ空間で過ごしていた人たちの文化的な交わりも感じることができた。
美術館を出ると、また活気ある空気に触れ、次々と建て替えられていく古い建物に目をやり、前へ前へと進んでいく若くて勢いのある台湾を感じることができた。私たちも同じだった。こうして歴史を繰り返しながら、また古きものへ哀愁を感じ、それを新しい命が超えていくのだ。それを傍観していられる幸せを噛み締めていた。
こうしてあらためて時間を与えられたことに感謝して、少しでも近代の生産性とか合理性の裏で、私たちが生きていく上で必要だった“感性”に触れることで、これまでの人生の中でできた穴ボコを埋めていく作業をしていきたいと思っている。
———編集後記———
台湾では
美術館や博物館も充実しているが
それ以上に
この国の歴史である
いわゆる国家の成り立ちについて
紹介されている企画展が
いろいろなところで開催されている。
国としては目を背けたくなる事実もあるが
それを公に公開することで
過去を一人ひとりが認識し
新たな時代を創造していこうという気概
さえ感じる。
台湾の小中学校を見ると分かるのだが
建物や施設が整っており
若い人材こそがこの国の宝であるという
国の方針が明確にわかる。
たった2500万人余りの資源のない小さな国で
半導体や風力発電などが
世界的なシェアを獲得するビジネスになり
外貨準備高で世界4位になった原動力は
まさにそこにあると思う。
合理的かつ感性が高い人材が
新たな社会の基盤となる。
日本でも同じではないだろうか。
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