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人生の区切りを迎えて#15 人生のすべてを“正”にすることはできない
■“ハレ”ばかりを求めてしまう
現役を退き、自ら選んだ道ではあったが、できればこの先、自分の選択が間違っていなかったと思いたい気持ちが募り、知らない間に動画の占いコーナーを見続けてしまっていた。
そんなに自分は弱かったのか。星座や誕生月が同じ人は数多くいるのに、どれも決してネガティなことは語られず、人知れず安心したりしている自分がいる。
私は運がいい。
そう思っている。
これまで自分が歩んできた過去を見れば、これがすべて自分の実力などと言えるはずもない。確かに、求められるものには懸命に応えてきた。でもそれは、求められることが相手からあってのことで、自発的にニーズを作り出したわけではない。そのくらい自分のことはわかっているつもりだ。ただ、選択してきたことがすべて良かったわけではない。むしろ、最初は良かったのに、それが時間の経緯とともに合わなくなってくることはよくあった。
俺の性格が悪いのか?
時々、自分で自分を責める。なぜ最後まで同じ気持ちで貫けないのだろう。同じゴールをめざしながら、変わっていく価値観に戸惑い、それを相手に求めてしまう。時代の変化なのだろうか。それとも、私の心がいつしか変わっていくのだろうか。
後悔も反省もしないが、世の中が諸行無常であることに、自分の気持ちが追いつけないことに対して、疑問を抱きながら過ごしていた。しかし、ある日、そういう自分に投げかけてきた言葉があった。
それが「平衡力」だ。
■人生は永遠に続くブランコのよう
「平衡力」というのは、バランスということか。
最初はそう理解した。しかし、説明を聞いているうちに、そうではないことが分かってきた。バランスというのは、いわゆる、揺れ動く価値観や感情が“0”という中心にあってくることだが、「平衡力」というのは一定の場所にとどまるものではないらしい。
簡単に言えば、良い時もあれば、悪い時もある、ということだ。つまり、良いことがあった後には悪いことがあり、悪いことがあった後には良いことがある。言い得て妙だ。まさに人生はその通りであり、山あり谷ありなども同義語だ。それが分かっていながら、人はつねに良いことばかりを願い、悪いことがあれば、なぜ自分ばかりが、と嘆き悲しむ。
これまで、幾つもそういう経験をしてきた中高年の人たちでさえ、揺れ動く人生の軌道に右往左往して、何かに縋り、すべてを運命づける傾向にある。自分にとって良くないときこそ、次への準備をするための休息の時間だと思えないと、せっかくの空白の時間が嘆きの時間に変わってしまうことになる。
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■何者でもない自分の時間があることに感謝
先日会った人に、名刺はないのですか、といわれた。
そういえば、名刺がなければ仕事ができないのかもしれないと、その時に思ったが、おいおい、私はそういう仕事の流れから降りることを選んだのではないのか。そう自問して、名刺を作ることを止めた。
今は、社会的にどこにも所属しない、つまり肩書きのない、何者でもない人間なのだ。無職で何が悪い。どこかに所属していなくて、誰かに迷惑をかけたのか?そうやって社会に唾を吐いても意味はない。この歳になって、自分のことを見つめ直し、どうやって生きていこうかを考えることができるなんて、私はなんて運がいいのだろう。本当にそう思えるようになった。
ちょうど、人生の振り子が大きく“負”の方に向かっている。これまで享受してきた“正”を思えば、この負の時間は結構長くなりそうだ。そうやって考えていると、今はあまり正の方に触れなくてちょうどいいのかもしれない。アメリカ大統領選も、兵庫県知事選も、すべて自分が思っていた方向とは反対の結果になっている。
たぶん、来年の初詣のおみくじは“凶”であることに、間違いはない。
———編集後記———
先日、どうしても行きたくて行けなかった
海外のある場所に行ってきた。
たぶん、現役で働いていたら行けなかったし
歳を重ねてからでは
体力的に無理だったと思う。
そんな“負”の時間帯の中でも
自分にとってはかけがえのないものを
得ることができる人生の運・不運は
白黒のはっきりしたものではないということ。
この歳になって
まだそんなこともわからないのかと
自分の弱さに恥ずかしくなる。
これから何ヶ月かは
自分の思い通りにならない時間が多くなるが
それが自分にとって次のステージへ
挑戦するための充電期間だと思いたい。
もしそうならなくても
それもまた人生だ。