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歴史快道を自転車で往く#07 美濃路_ 垂井〜大垣〜墨俣篇
中山道の西を制覇したことで、あらためて中山道の東側へのルートを辿る旅に出ようかと思いましたが、まだ季節的に厳しいのではないかということと、街道筋に電車が通っていないので、移動も不便になることを考えた末に、分岐点になっていた垂井宿から東海道につながる美濃路を辿る旅に変更しようと思い立ってスタートしました。
■ 3度目の垂井駅に“地元感”
今回の歴史快道シリーズを開始するにあたって思ったのは、歴史的に西日本側に昔の面影を感じる街が多いということ。そりゃそうか、古い街並みがあるとどうしても地権の関係などで土地が確保できないこともあり、どうしても未開発の地域から開発の手が進んだのではないでしょうか。
さて、いつしか垂井あたりの風景にも慣れ親しんできたところで、あらためて垂井宿追分まで自転車を進めてきました。
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前回とは違って南東方面を見てみると、立派な街道筋の松が目に入ってきて、そこにここは〈美濃路〉と看板がしっかり付いていました。
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今回は大垣を抜けて、愛知県一宮市を通り、名古屋市内へ向かうルートになる。愛知県を縦断するような経路になります。そこにはもちろん木曽三川が立ちはだかるわけで、渡し跡なども見られるはず。すっかり街道筋のことに詳しくなったので、見どころもちゃんとしてお伝えできるはずなのですが、まあまあこの先の出来事は、そんなに上手くは…。それはまた、続きをお待ちください。
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“水の都”大垣に到着。大垣には水まんじゅうなる和菓子があって、氷を入れた器に水まんじゅうを入れて食べるのですが、こういう食べ方をするのは大垣周辺だけで、一般的にはそのまま食べるところが多いとか。
あと、大垣あたりになると街が大きくなるので通りも広くなり、自動車の交通量が飛躍的に増えてくる。だから、自転車で街中を走るのも結構、⚠️スリリングな状況が続きます。
中心部を抜けて、揖斐川を越えて行くと、田園風景が広がってきた。街路樹(?)が整然と並ぶ堤防道路をひた走ると、輪中地帯の様相になり、河川が近いことが想像できます。
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そろそろ墨俣あたりかな、と思いながら走って行くと、駐車している車が多くなり、突然、墨俣城が姿を見せてくれました。
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墨俣城とは、言わずと知れた、羽柴秀吉が出世の足がかりにした伝説の一夜城。織田信長が美濃攻めをする時に、切り出した木材を木曽川に流して、ここで急ごしらえした城だと習ったことがあります。
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当時、こんな立派なお城であったかは定かではありませんが、創作力、想像力こそ歴史の醍醐味で、真実だけがこの世のすべてではないだろうから、これはこれで良しとしましょう。
さらに、長良川に向かって走っていくと〈美濃路街道〉なる看板がありました。それによると、関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が凱旋したことで、縁起の良い街道だと言われていたらしい。それよりも、何故ここを東海道にしなかったのかが疑問中の疑問。ここにも書かれているが、鈴鹿峠や木曽越えの難所を考えると、こんなに安全かつ快適に通れる道は他にないように思えるのですが。
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美濃路街道
この道路は、昔の東海道と中山道を結ぶ脇街道で「美濃路」と呼ばれている。
宮(現在の名古屋市)から垂井までのこの街道は、関ヶ原合戦後、徳川家康が凱旋したことで知られている。ここを通ることで、東海道の鈴鹿峠と中山道の木曽越の難所をさけることができるので、大名が参勤交代で利用するなど、通行の多い街道であった。
東小熊の一里塚跡や正木町新井の木曽川堤防上の渡しの石灯台は、そのころの面影を今にとどめている。
平成29年3月建立
羽島市教育委員会
当時は、通行の利便性よりも軍事的なメリットが優先されていたことを考えると、難所が必要だったのかなと思わないでもないが。すでに住宅地になっていて、あまり写真映えしないので写真が少なくて申し訳ないが、箇所箇所には石碑らしきものが置かれていて、当時の面影を遺しているところも見られました。
木曽川の濃尾大橋の羽島市側に、〈起渡船場石灯台〉が立っていた。ここの堤防沿いの道はかなりの交通量で、車道を走る自転車は厄介者。恐る恐る渋滞する車の横を走り抜けた💦
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愛知県と岐阜県をつなぐ濃尾大橋を渡って、県境を越え、橋を渡るとすぐにある【越宿】に到着。ここは本陣が置かれるほど重要な宿場だったようだが、今は歴史記念館のような施設があるだけになっています。
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昭和31年(1956年)に濃尾大橋ができるまでは、この渡船場が愛知県と岐阜県を結ぶ重要な交通手段だったようで、近くを散策したが、かつての賑わいが想像できるくらい、古くからの住宅が立ち並んでいたました。
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愛知県指定文化財
史跡 起渡船場跡~定渡船場跡~
一宮市起字提町
昭和四十二年八月二十八日指定
美濃路の起渡船場(おこしとせんば)には、上流から上・中・下の三ヶ所の渡し場があり、定渡船場、宮河戸、船橋河戸と呼ばれていた。常時多くの人々に使用されていたのは定渡船場である。
江戸時代初期から、渡船場には定渡船二艘・置船一艘・御召渡船一艘の合計四艘が尾張藩御船手役所から預けられ、他に鵜飼船や馬船も置かれ、人々の往来を支えた。旅人だけでなく、西国の大名の参勤交代や京都の公家の往来にも使用された。渡船場の実質的な管理は起宿の船庄屋が行い、船頭二十人がいた。
昭和三十一年(一九五六)に現在の濃尾大橋が完成するまで、この渡船場は岐阜県と愛知県を結ぶ重要な交通手段であった。
一宫市教育委員会
さすがに走りっぱなしでお腹が空いてしまったので、方向は反対ですが、少し戻って、人気のつけ麺を食べることにした。お昼前だし余裕で行ってみたら、いきなり行列の洗礼を浴びることに。
こんなおっさんが、🇮🇹イタリア製の自転車なんか乗ってるので、ジロジロ見られて恥ずかしい🫣かった。
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確かに美味かった。ボリュームも満点💯。
でも、この夜にお腹が…。つけ麺のせいではないと思うが、かなりしんどかったなあ😭もともと、豚骨ラーメンのスープは、好きなのに飲むとお腹を壊すことがお決まりなので、つけ麺のスープが合わなかったのかな?
そんなこんなで次回は、愛知県一宮市にある【越宿】を自転車で散策します。
--- 次回、起宿へ-----