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歴史快道を自転車で往く#19 東海道_金谷宿〜島田宿篇
ということで…今回はみなさんに謝らなければいけません🙇 🙇 🙇
前回の日坂宿の先にある【牧之原台地】という強敵によって、自転車旅で初めて挫折をしました。あまりにも急激な上り坂に、とうとう登頂を断念し、引き返してしまったのです。これまでもいくつかの難所は潜り抜け、歴史快道を走破するぞと息巻いていたのですが、お茶畑で有名な牧之原だけは、私の脚力の限界を超えてしまったのです。
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なので、金谷宿に入る前の駅である【JR金谷駅】まで電車できてからの再開になりました。どうぞご理解ください😢
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JR金谷駅からの道のりは、とにかく挫折した牧之原台地の高台から滑り降りるように大井川まで降るルートです。山間の道は曲がりくねっていて、とにかくブレーキが離せない状況で降っていきます。その勢いで進んでいくので、あっという間に川越し場跡まで辿り着いてしまいました。
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大井川が氾濫していると旅人たちは川を渡ることができないため、宿場町はその分大きく、とても繁栄したと言われています。確かに、復元された宿はこれまで見てきた宿場よりも立派でした。たぶん、向こう岸の島田宿も同様に栄えていたのでしょうね。
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関ヶ原や箱根などと同じように、必ず教科書でも習う“大井川”をじっくり見たのは初めて。その時の水量はと
ても少なく、船がなくても渡ってしまえそうなくらいでしたが、大雨の後などは、その川幅いっぱいに水が溢れ、旅人たちの行手を難んだのでしょうね。
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歩行者・自転車専用の通路が両側に整備されており、岸辺の風景をゆっくりと眺めながら島田宿へ渡ることができました。ただ、これならば、木曽三川を有する中山道もなかなか渡るのが大変だったと思うのですが、なぜ大井川だけが有名なのかはわかりませんでした。
島田宿に渡ると、面白いオブジェを発見。
当時の渡しの風景を描いた錦絵とともに、人工たちが神輿のような道具を担ぎ、川を渡る様子がリアルに再現されていました。川のど真ん中でバランスを崩されたらひとたまりも無いと思うのだが…。
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さあ、遅れを取り戻そうと再び東海道を東へすすめます。
そして、藤枝市に入った時に、ふと幼い頃の思い出が頭の中をよぎったのです。
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「そういえば、親父に連れられて、よく焼津に言ったよなあ」
「天神屋のおにぎりを買ってもらうのが楽しみだったよなあ」
ということで、藤枝駅から今日は帰って、あらためて旅の続きをやっていこうと思っていましたが、足を伸ばして、焼津まで行くことにしました。
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焼津の幼い頃の記憶を一生懸命に思い出そうとするのですが、大量の魚と冷凍庫の寒さしか浮かんできません。とりあえず駅前まで行けば、何か思い出すかもしれないと向かいましたが、それはそれは綺麗になってしまっていて、かつての漁港のイメージは消えてしまっていました。
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焼津駅の前には、立派なマンションがいくつも建ち並んでいて、ほとんどの人たちは静岡市への通勤のために住んでいるのだそうです。
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とにかく漁港に行けば、何か思い出すきっかけが掴めるかも、と自転車で向かいましたが、ここも綺麗に整備されていて、何の面影もありません。そりゃそうでしょう。だって、50年近く前の話ですからね。
でも、港の雰囲気だけは味わうことができました。漁船が所狭しと寄せ合いながら停泊し、次の漁に向けての準備をしているようでした。
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当時8歳の私は、その一年後に父親と永遠の別れをして今日に至るわけで、それ以来、この港町とも距離を置かざるを得なかったのです。
この歳にしてほろ苦い思い出を探そうなんて、私の考えが甘かったのかもしれません。でも、思い出がある場所があるっていいですよね。これも人生で17回も引っ越ししてきた私への、神様からの少しだけプレゼントだったのかもしれないと納得して、焼津を後にしました。