クリエイティブに死す
CHAGE&ASKAのASKAが、
覚せい剤所持の疑いで逮捕された。
彼らの楽曲が、店頭はもちろんネット上から
も消え去ろうとしている。彼らの所属するユ
ニバーサルミュージックは、コンプライアン
スの観点から関連商品の販売中止を決定した
と発表した。
馬鹿げている。
90年代を生きた人間からすれば好き嫌いは
あると思うが、彼の楽曲がどれだけ人に寄り
添い、社会を映し出し、人生の素晴らしさを
表現してきたか分かるはず。彼のしをた行為
は決して許されるものではないが、生み出し
た作品に罪はない。
罪がないどころか、重大な過ちが犯されよう
としている。それは、彼らの作品に関わって
仕事をしてきた人たちのクリエイティビティ
さえも、“抹殺”しようとしているからだ。
ひとつの作品に関わる人も、時間も膨大だ。
そのような物理的なものは、積み重ねられる
から分かりやすいが、クリエイティブなモノ
やコトは、それだけで生み出されるものでは
ない。
コンサートなどは言わずもがなだが、レコー
ディングやアレンジ、ジャケットデザイン、
衣装、宣伝などそこに集結する経験や知恵、
創造力など、本人でさえ把握しきれないほど
の英知が集結されている。
そのように積み重ねられた努力を、一瞬にし
て消し去ってしまうことなど、誰にもできな
いと思ってしまう。だが、創造力、と一言で
簡単に表現してしまうのだが、カタチにする
までには想像できないほどの、膨大なエネル
ギーが必要だ。
かつて、私はある作家について、編集者の方
と話をする機会があった。その編集者は書籍
の編集をしながら、プライベートの時間で小
説を書き続けていた。いわゆる創作を支える
立場でありながら、自分も創作に取り組むと
いうのはごく自然な流れであり、そういう人
は私の周囲には多かった。
そのある作家は、若くして文学賞を受賞した
人であり、その独特の文体と同じように生き
方そのものも独創的で、私も憧れを抱いてい
たが、その一方、創作活動を取り巻く世界の
空しさを一番、感じていた人だった。
準備をしなければならない——。
彼は、言葉を選びながら、語り出した。
よく世間で一発屋と言われる人は、デビュー
が衝撃的であればあるほど知らない間に虚像
が作られ、自分の意志とは違う方向にいろい
ろなものが動いてしまうものだ。
真面目な人ほど周囲の期待に応えようと、
自分の思いとは違う方向に舵を切ってしまう。
その作家も、若くして象徴を手にしてしまっ
たから、その後の作品がどうしても自分とし
ては納得できるものではなかったと後述して
いたという。編集者曰く「僕にはそれに耐え
るだけの自信がない」と。
ASKAさんの心の闇は、誰にも分からない。
どんなに辛かっただろうか。全盛期を過ぎ、
時代が過ぎ、新たな才能が現れ、年を重ね、
周囲の人たちの期待は、恐ろしい程のうねり
となって襲ってくる。私などは無責任に、
舞台を降りたらよかったのに、とTVに向か
って言い放っていた。それでももがき続ける
のが、<クリエティビティ>に生きる人間が
背負い続ける重荷なのかもしれない。
誰も、彼を受けとめてあげられなかったこと
が、とても悲しい。身を挺して、どんなに辛
くても、人の道を外してはいけないと、声を
かけ、寄り添う人がいなかったのかと悔しい
気持ちになる。
私たちも彼ほどではないにしろ、アドレナリ
ンを出し続けて、自分を表現しなければなら
ない仕事に従事している。企画という仕事は
見た目以上に地味なことの積み重ねであり、
それを辛抱強くやり続けた人だけがご褒美を
いただける仕事だと思う。
この代償の大きな仕事を
それでもみなさんはやり続けますか。
* * *
今は現場を離れた立場にいるが
もがき苦しむ若手を前に
何とか寄り添っていきたいと思う。
企画を生業としていない人は
アイデアなどは湧いて出てくるものだと
思い込んでいる節がある。
「それは、売上につながるのか」
魔法のような
正論を語る人たち———。
決して趣味でやっている訳ではないのに
間接的に関わる仕事は
いつでもこういう評価の中にいる。
でも、悔しいとか、辞めたいとは
思ったことはない。
だって、楽しいから😀
苦しみの先の楽しさを見に行くことが
クリエイティブの仕事の醍醐味だから
どんな評価もすべて受け容れて
行かなくてはならない。
私にしてみれば
お金の計算をしたり
見積りを作ったり
モノを作ったり
そういうことに興味はないから。
狩猟や農耕が仕事の中心だったら
使えない人だったろうな😭
空想しながら生きられる
時代に感謝したい。
#あの時のジブン |06