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過去の実績はそのときの“現在”に過ぎない

前回から10日も経っている。大して忙しかったわけでもないが、どうも書く気にならなかった。でもこれは気が向いたら書くものでではなく、ある意味での修業のわけだから、もう一度、あらためて書き始めようと思っている。

さて、世の中は“一流”といわれている企業の不正が発覚し、といってもそんな大それたものではなく、偽装や不正隠しなど、瑣末なものが紙面をにぎわしている。人間誰でも自分や会社の恥部を見られるのは嫌だ。隠したくなる気持ちもわかる。不正の発覚によって社員の生活が脅かされるのが怖かった、などという釈明を聞いていると、そんなこと微塵も思っていなかったくせに…と思う。そんなことよりも、自分がどうなるか、が最大の関心事だ。

何も自分を犠牲にしてまで人に施せ、とお釈迦様のようなことをいうつもりはない。それなりの社会的責任のある地位にいる人間ならば、それなりの対応というものが必要だと思う。取締役などと名前をいただいたからには、会社の中の公人として何をすべきか、を考えていなければならないと思う。かつて私もそういう名前をいただいたこともあるが、そこまでその組織に責任がとれないと思い、結果として職を辞した経緯がある。組織の大小はあまり関係がない。世の中の流れには波があり、自分の思い通りにならないことがたくさんあって、それをどうしたら超えられるか、考えられる人こそが賃金もたくさんいただけて、それなりの名誉を付与されるということになるのだろう。

では、そういう人以外の人はのほほんと暮らしていてよいか、といえばそうではない。自分に与えられた仕事をどれだけ正確に、そしてさらに精度を高めておこなうことができるか、を考えていなければならないだろう。人間には、管理する側と管理される側が必ず存在する。地位の上下というよりも、社会のしくみを潤滑に動かしていくしくみだ。自分の能力がどちらにあるかを見極めて、それがはっきりすれば目標が明確になる。ただし現在の会社のしくみは極めてこういう状況の選択がしにくいしくみになっている。

例えばメディアなどはいい例だろう。新聞記者や番組編成だけを仕事としてやってきた人たちが、そのまま会社の社長や役員になっていくことだ。彼らに経営管理能力が全くないとはいわない。ただし、そういう経験をあまりしないあいだに役職がついてしまうことがほとんどだろう。これは会社にとっても社員にとっても不幸だ。経営も職人も天性のものだ。名選手が必ずしも名監督ではない。それどころか、現在、野球の名監督と呼ばれている方々は、たいてい現役時代の成績はぱっとしていないはずだ。現役時代に何かお手柄を立てるとそのまま役員になっていったようなお手盛り経営は姿を消していくだろう。現在がすべてであって、過去の実績は、そのときの“現在”に過ぎない。

私は9月から某予備校の小論文添削者として採用されることになった。これも自分でその道を選んだ結果であり、自分の実績によって自動的にそうなったわけではない。作家や記者などの選択肢もあっただろうが、私が自分の能力を客観的に見て、その現状から何ができるか、何がしたいか、を考えたとき、その仕事がしたいと思い、そしてそれに対して“適確”だというお墨付きをもらったと思っている。以前はこうしたいなあ、という思いだけだったものが、自分で行動することで実現している。誰に言われたわけではなく、組織のしがらみもない。社長になってもいいし、小論文の講師になってもいいのだ。一段高いところから自分を見つめる。そして何をするべきか、を考える。これからはオートマチックの時代ではなく、マニュアルこそが生き残る術だと確信している。

*****

この頃になると
自分の心の中というか内面に対する興味が
強くなっている。
そして社会のしくみが分かってくるにつれて
どういうふうに構成されているかも
分かってきている。

人間は一人では生きていけない。
向き合う人間がいて
初めて自分のポジションが決まる。
その時に担うべき役割が明確になって
その責任を背負うことになる。

それが分からないままに
ベンチャー企業の取締役になり
役割を果たせないままに職を辞した経験が
このような分析につながっているのだろう。

そこから10年後に同様に取締役になり
そして13年後に取締役を辞することになった。

やるだけやった。
それだけだ。


自分として最初に失敗したことを教訓にして
果たすべき役割を全うしたと思うが
その評価は周囲の人たちに委ねることとしたい。
それが良くも悪くもすべてだから。


数字が良かったとか成果があったではなく
どれだけ
お客様や社員を満足させることができたか。
少なくとも私と関わった人間がどう感じたかを
聞いてみたい。

でもその機会は訪れないだろう。
訪れたとしても社交辞令的な内容であって
細密な分析結果ではないような気がする。

それでいいではないか。
現在がすべてであって
過去の実績は
そのときの“現在”に過ぎない

言っているではないか。

本当に本当にそうだ。

#あの頃のジブン |70

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