占いを覚えろ!取り敢えず手は触れる。
という教訓。
ぼくは眠れぬ時はよく怖い話を読むのですが、あまり怖いと思わないことが多く、(あのカーテンの隙間から、人が覗いてたら…)などと妄想し、一人鳥肌が立つのを楽しんでいます。
今日は未解決の行方不明の事件についての記事を読み、おばけやら妖怪の話よりよっぽど怖いなあ、と感じました。
自分の周りに行方不明ってあったかしらん?と、考えたとき、夏に流れの速い暗渠の中を流れる遊びを子供だけでしていたら、違うグループの男の子が、いつも出て来る場所から出て来ない、ということがありました。
暗渠の中には横道があり、そちらに入り込んでしまったのでは無いかと皆で捜したのですが結局見つからず、ぼくたちは寒くなってきたので帰り、その後はどうなったのかはわかりません。
おおらかな時代。
小学五年生の頃、放課後松原くんを遊びに誘うと、
「今日、久留米から弟の狐憑きを祓いに霊媒師が来るから遊べない…」
と断られたことがあります。
コックリさんも流行り、女子が集団ヒステリーを起こしたこともありました。
ぼくはうしろの百太郎という漫画を読んでいたので、この辺りの事件がとても興味深く思えました。
子供の頃はオカルトが大好きで、『宇宙人の死体写真集』などという本まで買う始末で、トイレの窓からUFOを探している少年でした。
今はあまり信じておらず、それを寂しいと感じています。
知り合いがUFOを呼ぶイベントをやっていたりするのを見ると、やはり力を入れるべきはそういうところなのでは無いかしらんと思います。
しかし、UFOに宇宙人が乗っているとはどうしても思えない自分が寂しいです。
UFOも宇宙人も存在するのはわかっているのだけれど。
「わからない」ということは恐怖です。
全てを知ることはやはり不可能ですが、やはり生きている限り、ぼくたちは知ろうとしなければなりません。