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掃除について考える
【掃除と自分】
今思えば、小学生の時はほぼ毎日使っていた箒とちりとりも、使うことが少なくなった。
子供の頃はひたすらに面倒くさいと感じていた「掃除」
大人になってからも苦手なものの一つだった。
でも、30歳を迎えた年のある日。仕事や家庭に疲れて、心がモヤモヤしていた時、ふと家の中が汚れていることに気がついた。
何気なく掃除を始めてみると、予想外に熱中し、2時間くらいかけて、家の中をきれいにした。
すると、それまでモヤモヤしていた気持ちがスーと晴れていくのを感じた。
それから、僕にとっての「掃除」は心のモヤを払う作業になった。
【掃除は心磨き】
そんなことを感じたある日から、ほぼ毎日続けている掃除だが、先日、とある本で「掃除は心磨き」という言葉を見つけた。「箒で一掃きすれば、心の塵が一つ減る」「雑巾で一拭きすれば、心の輝きが一段増す」。
まさに僕が感じていたことだった。
以前は綺麗にすることだけが掃除の目的だと思っていた。だから、目に見えて汚くなければ掃除はしないし、綺麗にさえなれば手段は何でもいいと思っていた。
でも違った。
部屋が目に見えて汚れていないからと言って掃除をサボれば、心の塵はどんどん積もり、心の輝きは段々と失われていく。
「掃除は心磨き」
日々何気なく過ごしていく日常の中でも、自分自身と向き合い「今」に集中することで心は磨かれていく。
【シンプルなものの真価】
僕の掃除は朝。
だいたい5時くらいから、箒とちりとりを使って、家中の埃やら髪の毛やらを集める。
それが終われば雑巾で床を拭き、昔流行った「トイレの神様」を鼻歌で歌いながらトイレも雑巾で拭きあげる。
こんな掃除を始めて気づいたことがある。
シンプルな道具の利便性。
我が家には現在掃除機がない。以前はあった。それが普通だと思っていたし、便利だと思っていた。
しかし、箒を使い始めると正直掃除機は使う気になれない。
箒なら狭い隙間を掃くこともできるし、持ち方を変えれば天井や壁も掃除ができる。
雑巾も同じ。
洗えば何度でも使えるし、何より丈夫。
とあるCMで、掃除用のウェットシートが「破れない」ことを売りにしていたが、その点だけ見れば雑巾の圧勝ではないだろうか。
シンプルなものは、その単純さゆえに様々な使い方をする「余白」が残されている。
そんな道具を使いながら、毎日心を磨く生活を続けていきたい。