8月23日読書会の報告
先月25日のテーマを深める為に久松真一の「無神論」を課題図書とする
参加者は前回と同じ老人の集い。この課題図書を通して宗教学的アプローチを超えて、(含めて)自分の生き方として探究したいという立ち位置。
青年期(20代の前後)の時代と社会の影響を全身に受け考え、行為してきた。その過程で人生最後まで引きずる、あるいは若くして出会いがあった。ある人か、ある書物か、あるいは風景、もっと激しい体験(生老病死に関わる出来事との遭遇。理由を告げられず、問答無用に死に投げ込まれる運命に翻弄され人間を間近に垣間見てしまったなど様々な機縁があった。老い先短く知的遊戯に自己満足に耽るゆとりはなく、これまで生きてこられた縁に感謝しながら、若き時に遭遇によるかけられた問いに応えて生きたいという思いからの集い。幸い三者の立ち位置が同時代を生きてきた共通点を持ち、縁あって戦後文学のキリスト教文学の椎名麟三との出会いから、神学者滝澤克己(西田哲学からドイツのの神学者バルトに学び、キリスト教の隠れた危うい欠点を第2時世界大戦の侵攻中のドイツで根本的批判を行う。)以降戦後文学に学びながら内村鑑三との出会いから新旧聖書研究に取組み文学批評活動を行ってる。
もう一人は在家として30年の長きに亘り、導師から公案を伴う坐禅と修行に励む。本人曰く、「愚根/ぐごん?」と現状の立ち位置を語り、謙虚に精進を淡々と進める現在。私も同じく凡夫無明の身であることを痛感。実存と社会の課題を若いときから引きずってきました。がんという病を同伴者に残りの人生を真っ当に生きていくためにこの読書会を気張らず、「道」を歩んでいける研修の場に成ればと願っています。
*一回で終わるテーマでなくゆっくり熟考と実践、暮らしのなかで論考熟議していきたいのです。途中ある程度まとまったものができれば、僭越承知の上お伝えできたらと思ってます。次回来月は9月25日予定です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?