5月24日読書会報告
参加者は4人。椎名麟三との出会いから内村鑑三の研究に至る文芸批評家。在家仏教徒として公案禅を生活の中に組み入れ修行を重ねる人。社会学を学びながら「社会的コンフリクトと恩寵の関わり」という問いを提示する学徒。司会を担当する私の独断で「実存と社会」というテーマで人間の認識論•存在論のそれぞれの二重性/2極性を考察することで進められた。「地下室の手記」が描かれた国と時代と社会の違いを超え、日本では1970年代に思想潮流の一つとしてマルキシズムと実存主義の対立関係と混融の中で、知的流行りを超え生き方として問われるテーマでもあった。大きな思想対立は現在なくなったとしても社会と実存の関わりは今尚形を変えて課題になっているのではないか。「反出生主義」なる生きることの懐疑と否定が今日の政治•社会的システムに徐々に息苦しさを覚え、前向きになれない層の苦しさを代弁する思想に共鳴する若者が増えているのではないか。何が問題なのかを冷静に見極めていきたい。「地下室」というメタファ。薄暗い地下室でこれまでの人生を1人で語る。屈折した欲望と文明世界に対する懐疑と自虐に満ちた他者と世界への呪詛。自己のマゾヒズムとサディズムの無限ループ。どこにも救いはない。意識は「病」である事を認める。かって出会った娼婦リーザからの愛も敢えて拒絶する捻くれ者。理性への懐疑は破滅への入口かそれとも遥か彼方に望む出口への旅立ちなのか。「白痴」のムイシュキン、「悪霊」のスターブロキンを中心とした魅力的人物がゾクゾク登場。ホーチン僧侶とスターブロキンとの対話。そしてカラマーゾフの兄弟までの長い道程を遥かに望む。どこまで同行できるかはともかく、学んでいきたいと思う。
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