【しらなみのかげ】 今、〈解釈権の独占〉へとひた走るのは誰か #19
昨日(正確には30日付の深夜未明)に上げた「「オープンレター」講解」は、15000字に及ぶ長文であるにも拘らず、お蔭様で多くの人に読んで頂けた。御読み頂きました方々には改めまして厚く御礼申し上げます。
物議を醸し続けている「オープンレター:女性差別的文化を脱するために」に対して逐文解釈的に内在的読解を施すという試みは恐らく初めてだろう。この試みにおいて、呉座勇一氏の名前を連呼し、呉座氏の懲戒停職と准教授テニュア内定取り消しに影響を与えたと思われるあの文章は、「社会問題に目覚めよ」と絶叫するウォーキズム(wokism)の一派による紛れも無い〈キャンセル・カルチャー宣言〉であることが明らかになったのではないだろうか。この問題に関心のある未読の方には、是非共御笑覧頂きたい。
私はあの地道な作業を行なった後に自分の書いた文章を顧みた。そこで気付いたことだが、「講解」を書くことによって、結局の所、「キャンセル・カルチャー」なるものを構成する原理が何であるのかを闡明にすることになったのではないか、と考えている。その鍵となるのは、かの文中においても分析の途上で記した如く、〈解釈権の独占〉である。
〈解釈権の独占〉と言えば、ヨーロッパ中世のカトリック教会の正統信仰を真っ先に思い浮かべる人もいることだろう。或いは、共産主義国家における教条主義的マルクス主義を想起する人もいるかも知れない。歴史的に存在したそれらのドグマは、「唯一の教会」であるカトリック教会や、「前衛党」である共産党の中央集権的な組織の下、整備され、堅持され、そして異端を厳しく処罰するものであった。
しかし、所謂ウォーキズムによって形成される「キャンセル・カルチャー」の場合は、そのような形で権力が集中する中心を持たない。それは恰度、組織運営の為の事務方だけを設置した上で個別に動員を掛けて行われる市民運動の如き形態で展開されていると言って良い。しかし運動のネットワークの重要な結節点は幾つか存在している。
その最重要地点は、明らかに大学の人文社会科学系等である。
しかし、嘗ての学生運動の如く、中核派や革マル派、或いは革労協の様な極左の明確なセクトが学内に存在する訳でもない。確かに、そうした旧来のセクトの一部が運動の場所を求めて最新の「ウォーキズム」的な問題系に絡んでくることもあるようだし、又、フェミニスト団体やLGBT団体、或いは反レイシズム団体の如くそれらの問題に特化した新手のセクトらしきものは幾つも存在する。しかしながら肝腎なことは、他団体と暴力によるヘゲモニー闘争を繰り広げたり、組織内主導権を巡って内ゲバを果てし無く繰り返したりする旧来の極左団体のような組織形態は取っていないことである。新手の運動は、前衛党モデルのそうしたトップダウン型の指揮系統を有していない(反対に、最も古い左翼政党である日本共産党は逆に今なお「民主集中制」である)。
運動の拠点が大学である理由は、そうした学生組織にある訳ではない。
その理由は文字通り、「真理」の言説の生産装置としての大学にある。
そこで、ウォーキズムを支える〈社会観〉の言説が一つの基礎的な教義として錬成され、講壇からそれらが学生達に語られたり学術論文や学術書といった形態でそれらが発表されたりすることにより、アカデミックな権威を付与されるのである。
共産主義運動など嘗ての左翼運動と明確に異なる点は、この運動に於いては前衛党が存在しない為に、大学が正に運動の曖昧なる中心を担っている点である。往時も又、大学での学術研究に於いて(マルクス主義などの)イデオロギーを「真理」として再生産する学者達は多く活動していた。しかしながら、嘗ての運動の中心は飽く迄も前衛党の指導部にあり、権威的なイデオローグと雖もその細胞、党官僚の権力には決して逆らえなかった。共産党員の学者達の殆どは、共産主義運動全体から見れば、中核的なイデオロギーの理論的補強とその教育を様々な面で担当していたに過ぎなかったのである。党中央に従わなければ、結局は党を出て行くことになるか、ヘゲモニー闘争で傍流に追いやられるか、酷い場合には除名されることになる。
嘗ての共産主義運動とも明確に異なり、所謂ウォーキズムに於いては、アカデミアの学者達の散発的な言説生産と社会活動が正に運動の核を形成する。これを担っているのは、主に社会学者であるが、その裾野は、政治学者、人類学者、文学者、哲学者、美学美術史学者、そして(嘗ては共産主義運動の中心の一つでもあった)歴史学者など相当な分野に広がっている。「個人的なことは政治的なこと」という有名な標語が示す如く、単位は党ではなく、飽く迄も個人である。
見落としてはならないのは、彼等の運動形態と、その主たる学説が呼応関係にある点である。
何となればその学説は、フェミニズム、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズなど全て歴史や社会に於ける構造的差別や構造的抑圧に批判的に言及するものであると概括出来るが、それらの社会的構造に於ける被差別・被抑圧の「当事者」への傾注に最大の特徴を有するのである。こうした運動に参画する個々人の学説や専門分野は微妙に異なるものの、それらの殆ど全てが、マルクス主義に於けるブルジョワ/プロレタリアートの枠組みの如く、抑圧/被抑圧、或いはマジョリティ/マイノリティといった社会構造理解のグランド・セオリーは諸分野を通じて共有されており、その枠内に於ける被抑圧・マイノリティの「当事者」であるか否かに最大の重点を置いている。研究者自身が当事者であるか否かも、ここでは当然問題となる。当事者である場合は、社会の中での「私の生きづらさ」を如何に扱うかに問題が傾注していく。当事者でない場合は、当事者に対して如何なる言動を以て自らの社会属性的罪責性を贖い、当事者に「寄り添う」のかが常に問われることになる。
何れにせよ、学者に於いてすら単位は徹底して「個人」、それも「真理」の言説生産というアカデミックな権威付けを経ることで〈固定化された社会観〉の中に於ける「個人」なのである。
権力勾配の理論とアイデンティティの理論が徹底的に紐付けられ、そうして各領域へと敷衍され、固定化された社会観の中で、どのようにその属性の個人が「私の生きづらさ」なり、「生きづらさ」を与えている抑圧性やマジョリティ性なりを捉えているのかに全てが収斂する。これは見落とせないことだが、その時、「個人」の個人的な感情に社会問題が直に接続される回路が形成されるだろう。学問は個人的な感情を社会的な「真理」として弁証する。
斯くの如くして〈解釈権の独占〉は、「当事者」たる「個人」に付与される。取り分け、その論理を自ら研究し、発信する立場にある「個人」に優越的に付与される。それを支え正当化するのが、大学という強い言説的権力を帯びた場で生産されたアカデミックな「真理」なのである。
この個人的運動の普及過程は大凡、以下の如きプロセスを取るだろう。
先ずは大学という場所に於いて、「社会問題」とその「真理」にアクセスする支配的な学説の生産、その「真理」に従属する諸々の「倫理」の生産、或いはそれに従って策定されるハラスメント防止規則などの制度的な言説の生産を通じて、言説上に於ける〈解釈権の独占〉へと敷石が作られていく。更に、それが対応する学内外の「当事者」を中心とした社会運動や政治運動とリンクすることによって実践化されることで、〈解釈権の独占〉が社会的にも正当化されていく。
無論、それら全ての動向に於いて、教皇や枢機卿、或いは書記長や政治局や書記局は存在しない。この運動で〈解釈権〉を〈独占〉するのは、最早特定の組織のトップ層ではない。大学の内外に蠢く活動家達は正に、幾つかの鍵となるモチーフを共有しつつ、リゾーム状のネットワークを形成しているのである。そして個々人が一人一派でありながら彼等の共有する正統なる教義に則りつつ、今日も私を生きづらくしている怒るべき社会問題を探しているのである。
このリゾーム状のネットワークが、現代のインターネット環境、とりわけSNS
にとって非常に好都合なものであることを理解するのは困難なことではないであろう。直情的な反応が突発的にタイムライン状に乱雑で不正確な情報となって次々と放流されていき、それらが織り成す断片的な情報の暴流に対し、また誰かがそれを更に誤解しつつ脊髄反射的な感情を爆発させる環境−悪く言えば、これがSNSという情報環境である。怒りを催し、不公平や不平等の感覚を目覚めさせる刺激を与えられる情報を発信すれば、一時的にではあれ一瞬の内に不特定多数を動員することも容易である。
大学で醸成された過激かつ権威的な言説は、そこで効力を発揮する。社会運動家と区別の付かない学者達は、社会的属性の基準に照らし合わせつつ、自分達の一派の学説とそれに付随する規範により「真理」の場という名目の下に手にしている〈解釈権の独占〉を振り回す。彼等彼女等は、自分達の都合の良い情報を擁護し、且つ〈独占〉下にある〈解釈権〉の一部を分有するかのように「エンパワー」し、それに対する別の社会的属性なり思想信条的な立場なりからの批判や諷刺を「誹謗中傷」や「差別的言動」に分類し糾弾することで自己防衛を図らせる。アカデミアやその周辺のメディア人、そして活動家は、SNS上での「呼び掛け」によってお互いに個人個人でありながら徒党を組み、自らの気に入らない連中を正義の名の下で排除しようと試みるのである。
而して、社会正義の名の下に正当化されたキャンセル・カルチャーがネットの海から生まれ出ずる。人気の日本中世史学者呉座勇一氏を追い込んだかの「オープンレター」こそ、その記念すべき第一号であろう。
大学は今や、「真理」の言説のみならず社会運動や政治運動をもそれと連動して生産する権威的な場となりつつある−誠に皮肉なことに、オルタナ・ファクトやポピュリズムの台頭による、大学そのものの権威性の相対化、大衆からの信頼の失墜、或いは制度そのものの凋落と同期する様にして。
追記
現在、NHKで「極右歴史修正主義」のタームであった「歴史戦」が佐渡金山の世界遺産認定に関する肯定的な意味で使われたとして、SNS上で(主に歴史学分野の)学者達の袋叩きに遭っている。彼等は、ここでもまた〈解釈権の独占〉を行使しようとしている様に見える。国際政治に於ける歴史認識や国民統合の為の歴史教育といった、右派が「歴史戦」の主戦場と見做して熱心に活動してきた領域は、実の所、そもそも「歴史学」の占有物ではない筈である。歴史学的な理論と実証をそのまま他国との折衝で使えるかと言えば、(正しくそうである事例があるにしても)そうである事例の方が寧ろ少なかろうし、国民教育に於いてはそのままの形では到底使えようもないだろう。確かに歴史学は、厳密な史料調査に基づき、歴史事実を明らかにしていく学問である。しかしながらそもそも広い意味での歴史認識は、(例え歴史学的には手法も事実認識そのものも誤りであるにせよ)歴史学の占有物ではない筈である。勿論、誤謬があればその都度歴史学者が正せば良かろう。それが彼等の仕事である。しかし、生きている人が歴史をどう見て、どう生きるのかということは当然、歴史学に沿っている訳ではないであろう。これは自明のことである。
それ故、国際政治的な意味でも、国民のアイデンティティ的な意味でも、「歴史戦」は行われ続けるだろう−〈解釈権の独占〉に訴え、それを嘲罵する歴史学者達を余所目にして。政治家や官僚は、例え存分に歴史学者の見解を聞くにせよ(聞いた方が良いのもまた自明であるが)それとは別に国益の為に奮闘せざるを得ない職分なのだから、至極当然の話である。
固より、歴史事実をイデオロギーから解放すると称して絶叫する歴史学者達もまた、(嘗ての「国民的歴史学運動」の如き)「解放された歴史修正主義」に酩酊しているだけなのかも知れないのだから。〈固定化された社会観〉に於ける「当事者」たる「個人」こそが「真理」である(これは彼等が批判的に用いるタームである「イデオロギー」そのものではないか)という不磨の大前提に胡坐をかく現代の歴史学者を一瞥しただけでも、そうした疑念は湧いて来ざるを得ないだろう。
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