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日本と中国の研究文化の違い:留学生の視点から
日本に留学してから、早いもので20年以上が経ちました。今でも鮮明に覚えているのは、初めて日本に降り立った日。空港に迎えに来てくださった教授が、事前に用意してくださったアパートへ私を送り届けてくれたことです。アパートには家具や冷蔵庫、生活に必要なものが全て揃っていました。当時、教授のこの厚意に深く感謝していましたが、今、留学生としての生活環境を見てきた私にとって、その感謝の気持ちはさらに大きなものとなっています。
今回は、私が出会った留学生たちの中で特に印象深い方々を紹介したいと思います。留学生活の苦労、そしてその後の成功を目の当たりにした経験は、私にとっても学びとなり、留学生への偏見を少しでも減らしたいという願いを持つきっかけとなりました。初回として、中国人留学生のAさんについてお話しします。
Aさんとの出会い
私がラボに入った時、Aさんは文部科学省の国費留学生として1年間ポスドク研究員をしていました。中国のトップ大学、北京大学出身の彼は、奥さんとお子さんと一緒に日本で生活していました。いつも朝早くから黙々と実験に取り組む姿が印象的でした。
当時のラボは決して居心地の良い環境ではありませんでした。特に、助手の先生が極端に差別的で、留学生をまるで人間扱いしないような態度を取っていました。そのような中、何度も理不尽な対応に耐えきれず、研究を辞めようと思ったこともありました。しかし、Aさんはいつも励ましてくれました。彼の家に招かれ、手料理を振る舞ってもらいながらたくさん話をすることで、私は何とか踏みとどまり、最終的には卒業することができました。
留学生としての苦悩と挑戦
日本での留学生生活の最初の壁は、研究テーマに戸惑うことではないかと思います。日本の教授たちは、若い頃の業績で出世し、その後は研究から離れがちです。実験の指導は大まかな方向性を示すだけで、具体的な助言が得られることは少ないのが現実です。
Aさんも、やる気満々で日本にやってきたものの、すぐにそのギャップに気づきました。しかし、彼はその状況に対応する術を見つけました。研究テーマを自分の得意分野に近いものへ変更し、2年間で3本の論文を発表して見事に帰国の成果を収めました。その過程で、教授に論文を見てもらうまでの時間に何度もストレスを感じながらも、研究業界で生き残るためには我慢が必要だと耐え抜いていました。
Aさんの帰国後の活躍
帰国後のAさんの活躍ぶりは目覚ましいものでした。ちょうど彼が取り組んでいたテーマの研究が中国で注目を集める時期と重なり、彼は次々と一流雑誌(ScienceやPNASなど)に論文を発表しました。その結果、彼は中国国内で自分の研究分野の政府スーパーバイザーという重要な地位を任されるようになりました。
彼から自分の研究室に誘われたこともありました。しかし、当時私は現在の夫と結婚しており、中国語が全く話せない夫を連れて帰るのはリスクが大きいと考え、その申し出を断りました。今となっては、もしかしたら大きなチャンスを逃したのではないかと感じることもありますが、「塞翁失馬、焉知非福(何が幸いするか分からない)」という言葉で自分を慰めています。
日本と中国の研究環境の違い
Aさんとは今でも連絡を取り合っています。彼がよく話すのは、日本人のコツコツとした真面目な研究態度への尊敬の気持ちです。一方で、教授たちが研究から離れすぎている現状を「もったいない」と嘆いていました。また、当時の日本の研究環境において、論文のスピード感が欠けていた点も大いにストレスだったと、今では笑い話にしています。その現状が今も続いているのではないかというのが私の独り言です。博士課程時のラボはいまだにパワハラ上司が教授までなって、一昨年日本人の准教授までうつ病になって研究室を去ったとききました。論文もあんまり出ていなかったよなあ。
まとめ:留学生たちへのエール
Aさんをはじめとする留学生たちの経験を振り返ると、苦労や困難の中でも、適応力と努力が彼らを成功に導いていることが分かります。私自身も留学生活を通して多くの壁にぶつかりましたが、彼らの姿から多くの勇気をもらいました。これから留学を考えている方々にも、彼らのように挑戦し続けてほしいと願っています。
次回はアフリカからの留学生のBさんについてご紹介します。留学生たちの物語が、少しでも多くの方々に届き、理解や共感を生むきっかけになれば幸いです。