部族衝突の記事をみて思い出す:北東インドの思い出
今日は全くといって仕事が進まなかった。ボスから、ちょっと重めの書類の作成を指示されたのだが、気が乗らない。5年前にも同じ書類を書いたのだが、事務方からコピペは駄目といわれて新しいアイデアを引っ張り出さなければならない。そもそも7月31日に届いたメールが今日になって転送されてきて、「〆切は8月1日までです。仕方ないので週明けの月曜日まで待ちますから」って、なんなんだよ、それという話だ。もう組織として終わってる。全ての状況がやる気をそいでいく。
ボスは軽快に「明日から出張なので、あと宜しく」と帰るし。こんな書類よりも科研費の書類を書きたいのに。ということで、書類を眺めながら5年前の内容を反芻し、理論構築で時間が過ぎていくという、とにかく進展の少ない一日だった。仕方ない。こういう日もある。土日にリカバーするしかない。
そんな書類の進まない中、ネットでひとつのニュースが目につく。
そんなことが起こっているとは全く知らなかった。(元)Twitterで検索して見たら、なかなか大変な事になっている。こういう時、ツイッタランドもといエックスランドは役に立つ。もう3ヶ月も立っているのか・・・・日本での報道は殆どなかったのではないだろうか?今日まで全然気づいていなかった。
もう10年以上前、自分が「若手研究者」と名乗れていた頃に、この北東インド地域を訪れたことがある。詳しく書くと名前バレしちゃうので、だいぶぼやかしておくが、実は同じ地域のミャンマー側に入ろうとしたこともある。しかし治安が悪くて入れなかった。ミャンマーまでは行ったものの「冗談じゃない、マジで危ないから駄目。日本人を連れて行けるところじゃない」とカウンターパートに止められた。それほど自分の研究では行ってみたい地域だった。あの地域に堂々と入るのは難しくて、調整に凄く苦労したし、とってもたくさんのお金を使った。自分の研究歴のなかでも、かなりのチャレンジだった。
記事をきっかけに、色々なことを思い出した。その地域に滞在していた時、カタツムリみたいなウンコが出たことを覚えている。
食事はだいたい上記のような感じ。1日に2回だった。その分、たっぷり食べる。とても健康的な食事。もちろんお酒はなし。たまにゆで卵が出て、とても美味しかった。ただ、これを毎日食べていたら、あるときからウンコが緑色になったのだ。最初は感染症か、胆嚢系がおかしくなったかと思ったが、体調はすこぶる良かった。緑色のものばかり食べていたし、おそらくは色素の強い植物が混じったのだろう。特に問題もなく、トランジットで東インドに戻った頃には元通りになっていた。
冷えた飲み物を買うことが難しくて恋しかったのと、人生で初めて訪れた禁酒地域だったので、アルコールが飲めないのが辛かったのを覚えている。ただ、その代わりにチャイを何杯も飲んだ。作業を終えてヘロヘロになって戻ってくると、まずチャイをいれてくれる。このチャイを飲みながら、外で一服している時が最高の時間だった。本当に美しい、神々しい夕暮れを見ながらチャイを飲み、たばこを吸っていた。ただただ美しい景色だった。
水が貴重な地域だったので、バケツ一杯で頭からつま先まで洗うという技も習得した。あの技術は、その後の人生でとても役立っている。かなり寒い状況でもお湯をわかして、バケツ一杯まで薄めてぬるま湯にすればなんとかなるので、何度も助けられてきた。
そして北東インドの現地の方々とも知り合う機会があった。基本的に自由に出歩くことは出来ないのだが、知り合った北東インドの方々は、とてもとても素朴な方々だった。たくさんのミャンマー人も見かけた。日本に戻ってから手紙も書いたりした。たくさん撮った写真も送った。でも、それも数年のことで、その後は交流が途絶えてしまった。私が交流した人々が何族なのかは分からない。でも、本当に、こんな見ず知らずの外人にとてもとても良くしてくれた。感謝しかない。
そういえば、インドから戻ってすぐに高熱を出した。なんかの感染症だろうと思って、家で自分を隔離したが、たった1晩で熱はすっと引いた。翌日に(海外から帰国したばかりという)事情を説明して診察してもらったところ、インフルが陽性だった。しかし、それまでに経験したインフルと比べると、あまりに症状が軽く、未だにアレはなんだったのだろうと「?」である。
ニュースをみて、当時の写真を見ていた。現地の大学の先生達は無事だろうか?あの焚き火を起こすのが天才的な彼は元気だろうか?コーラを買っていた店先の少年は、もう立派な青年になっていてもおかしくないはずだ。写真をとってとせがまれた3人姉弟は元気だろうか?庭先になっていたパパイヤを切って出してくれたお姉さんは元気だろうか?
ここで当時のメールを探て、Facebookで当時のカウンターパートを検索したら、お元気なのを確認した。でも大変そうだ。そこからキーワードを見つけて検索してみると、もうなんともいえない凄惨な状況が浮かび上がる。でも、こんな日本のド田舎からは祈ることしか出来ない。無責任な祈りしか出来ない。どうか、どうか、再び平穏に戻ることを祈っている。あの時知り合った皆さんがお元気で、安全にいられますように。
あの地を、いつかプライベートで訪問したいとずっと思っていたが、おそらくは今の身体(体調)ではもう無理だろう。若い時だから出来た調査だった。願わくば、あの美しい夕日を見ながら、チャイを飲みたかったなと思う。