お好み焼き屋「じじばば」を思い出して

 高校生の頃に通ったお好み焼き屋さんがある。今となっては本当のお店の名前を思い出すことが出来ないのだが、店は通称「じじばば」と呼ばれていた。おじいさんとおばあさんが営業されていたからだ。とてもとても汚いお店で、鉄板を除けば、全てが茶色い世界に埋もれた様なお店だった。そして小さなお店だった。鉄板がついたテーブルが土間のようなスペースに2つ、小上がりに2つだったと思う。

 おじいさんは何も語ることはなかった。「いらっしゃい」もなかった。黙々と料理を作っていた。それをおばあさんが運ぶ。昔話の登場人物のように腰に手を当てながら、えっちらおっちらと運び始める。そこで大抵は客が料理を取りに行く。えーえーえーありがとねーといっておばあさんはお客さんに渡す。他の従業員はいなかったように思う。二人だけで営業をされていた。

 お好み焼きは自分たちで作るスタイルのお店だった。父がお好み焼きを作るのが好きだったので、家でもお好み焼きを作って食べるという習慣はあったものの「じじばば」のお店のお好み焼きは格別だった。べらぼうに美味かったのだ。山芋がたっぷりと入った、そのお好み焼きは本当に美味しかった。そのうえ高校生の懐でも食べられるような良心的な値段だった。おまけに高校生の僕らには、いつもサービスをしてくれて、量を増やしてくれていた。他のお客さんより明らかに多い生地の量(具材ではない)を入れてくれた。今じゃあり得ないけれど、高校生ということを理解しながらも、ビールを注文すれば「1本だけだよ」と言いながら出してくれた。部活帰りに、そこであれやこれやと議論をしながら、くだらない話をしながらお好み焼きを食べ、瓶ビールをみんなで分け合って飲んだ。自分の青春時代を思い出せば、必ず登場するお店だ。

 ・・・なんでこんなことを急に思い出したかというと、ハイサワーのポスターが炎上していたからだ。

 高校生の頃に何度も通ったこのお店には、お姉さんの水着姿のポスターかカレンダーが貼られていたのを思い出したのだ。あの頃、ビールとかのポスターは水着のお姉さんばかりだったように思う。油や煙で真っ茶色に染まるお店の中で、それらのポスターは素晴らしく輝いていた。ウブな高校生だった自分にとっては、少々目のやりどころに困ったのを覚えている。ハイサワーのカレンダーの騒動を聞いて、懐かしくなり、そうそう昔はそうだったよね、懐かしいな、と思った。

 ちなみに該当のカレンダーの感想を素直に書けば「美しい」としか思わなかった。この手の炎上をみるたびに思うのだが、エロと色気の境界はどこにあるのだろう?同じポスターを私が中学生の頃に(ウブな高校生よりももっと若い時に)みたら間違いなく「エロい」と思っただろう。しかし、おっさんとなった今は美しいとは思うが、エロいとは全く思わない。単に枯れてしまっただけかもしれないが、あの頃の「じじばば」に貼ってあったポスターを今見ても、エロいとは到底思わないだろうし、目のやり処に困ることもないだろう。受け手の問題というが、同じ人間でさえも時間軸によってエロと色気の境界は変わるのだ。しかし私のような昭和の水着ポスターを懐かしがるような輩は、既に世の中にとっては老害でしかないのだろう。

 ・・・話を元に戻す。「じじばば」のお好み焼きの話だ。私が大学生になって実家を離れた後に、一度だけ「じじばば」を訪ねた。帰省したついでに食べに言ったのだ。その時は覚悟を決めて訪問した。というのも、一人暮らしを始めて自分でお好み焼きを作るようになったものの、あの「じじばば」の味とは程遠いのだ。見よう見まねで山芋を同じ量ぐらい加えても同じ味にならない。何か秘密があるに違いない。そう思って、味を盗むべく、神経を集中して、おじいさんがお好み焼きを作る一挙手一投足を見ようと思って訪問した。なんなら美味しいお好み焼きにする秘訣を聞きだそうと思うぐらいの勢いだった。

 お店は一人で訪問した。久しぶりに食べる「じじばば」のお好み焼きに心を躍らせながら、ガラガラっと扉を開けたら、そこには「じじばば」が居なかった。見たことのない夫婦(?)がいた。いらっしゃいませ、と声がかかる。息子さん夫婦?と動揺しながら小上がりに座ってお好み焼きとビールを注文する。1本だけだよ、とは言われない。軽やかにビールとお好み焼きが届く。取りにいく必要はない。

 お好み焼きを混ぜて鉄板に広げるが違和感を感じる。何かが違うのだ。ルーチンが違うとかじゃなくて、目の前のお好み焼きそのものが違う。広がり方も違えば、香りも違う。いつものように作り、残さず食べて、ごちそうさまといい残して、私は2枚目を注文せずに店を出た。遅かった。遅かったのだ。そう思いながらお店を出た。

 そうして、私の心の中のお好み焼きナンバーワンは不動になって、今なお「じじばば」を超えるお好み焼きに出会わない。もちろん思い出として美化されている部分もあるだろう。でも「じじばば」のお好み焼きは本当に美味しかったのだ。あの全てが茶色く染まった中で派手な色の水着のお姉さんのポスターが映えていた。おばあさんの居る場所(隅っこのスペース)には油まみれのソロバンが放り出されていて、新聞や週刊誌が積み上げられていた。腰の曲がったおばあさんと、何も語らなかったおじいさんが作っていたお好み焼き。本当に美味しかったあのお好み焼きをもう一度食べたいと何度も思うが、昭和の情景とともに残るあの味は二度と食べられないのだろう。

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