餅は餅屋のついたものが一番うまいのであれば英文校閲だっていいじゃないか
投稿予定の論文を英文校閲に出した。私はデータ解析はマッチョな方だけれども、英語に関してはプロに任せるタイプだ。
流石に研究者をXX年もやって、論文もXX本も書けば、そこそこの英語を書けるようになるけれど、言語感覚の乏しい私に書けるのは、そこそこの英語でしかない。メールで研究者とやりとりをしたり、日程を調整したり、学会発表のアブストを英語で作る程度だ。
でも「美しい流れの英語」を作ることが出来ない。これってやっぱり難しいなと思う。論理的な英語をある程度は書けても、英語で美しい文章は書けない。日本語ですら流れの美しい文章(なおかつ分かりやすい)を書くのは難しいのに、自分の母国語ではない英語でそれを作るなんて、ちょっとほど遠いというのが実情だ。
私が流れが美しい日本語だなぁと思うのは、向田邦子さんである。向田邦子さんの「父の詫び状」は何度読んでも本当に綺麗な文章だなぁと思う。でも、あの美しい文章を「ぽきぽきした文章」と評するひともいるそうである。うーん、結局はどんな文章を美しいと思うかは、読み手の感性によるのかもしれない。
大学院生の時に投稿した論文はネィティブの共同研究者が英語をみてくれた。酷い英語で迷惑かけてごめん、と伝えると(今思えば本当に酷かった)、
「ヘイ、問題ないぜ。小学生より上手な英語だ。立派だぜ」
と言われて、がっくしきたところに、彼は続けて
「俺は小学生レベルの日本語だってかけないんだぜ。おまえはすごいじゃないか。学術論文を異国の言葉で書いてるんだ。それってすごいことだよ」
と褒めたのかけなしているのか良く分からないことを言って励ましてくれたのだ。苦い思い出である。
なので、私は研究者になって早々に白旗をあげて、英文校閲に頼ることにした。投稿論文を英文校閲に出す際に、気をつけているのは下記の三点である(論文のストーリーとか、論理性とかではなくて、英文校閲に出す原稿の「英語」に関して気をつけていること)。
1)校閲者に流れを伝えることを重視。しつこくても、In addition, Moreover, Furthermore, Although などの文頭の接頭語を多用。
2)文章を長くしない。ぽきぽき折る。接頭語を多用しても折る。校閲者が理解すれば、繋げるべきところは繋いでくれる。関係代名詞を使用する時は、先行詞を明確にする。
3)テクニカルターム以外は面倒な単語はなるべく使わない。同じニュアンスを別の言葉で言い換えたりしない。同じものは同じと英文校閲者に伝えることを重視。
というわけで、ようは「校閲者に伝われば良い」というスタンス。校閲者に伝わらないと、結局、意味がおかしくなって、何度もやりとりをする羽目になる。このようなスタイルなので、私が書き上げる英文はお世辞にもGood!とは言いがたいものになるのだが、英文校閲者の手にかかれば、きちんとした英語になって戻ってくるのでありがたい限りである。
良く英文校閲に出すと英語が添削前よりも酷くなる、というアドバイスを声高に下さる意識高い系の研究者様がいらっしゃる。私はそういう方は、本当にガチで英語が出来ている(=英文校閲のネイティブよりも遙かに英語を使いこなせる日本人)か、あるいは極端に英語が酷い(=英文校閲に伝わらない英語を書いたうえに、戻ってきた英文を読み取る力も、再修正をかける英語力もない)のどちらかではないかなーと思っている。
前者の先生にはぜひとも英語を習いたいが、後者の場合は適当な相づちを打って、「(校閲者の)あたりが悪かったんですかね−」といって距離を置く。そうやって私は、この業界でサバイブしようとあがき続けてきた。きっと今後も英文校閲に頼り続けるだろう・・・校閲費用を賄えている限りは。
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