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今の気持ちを率直に書いてみる。

noteを初めて5年。

ここ数年での私の人生観への変化や今の気持ちを率直に書いてみる事にした。

私は重度の発達障害で、一般的な方より人生が困難だったと思う。

幼少期から人が苦手で、うまくやり取りができなかったし、ずっといじめにあったりと、人間関係もまともに築けず、社会生活が正常におくれた例がなかった。

どこでも生きていけないという、得体のしれない不安を抱えて、誰からも共感されない、この不安を打ち明けた事がなかった。


就職しても、ついていけずに、その原因も自己分析の範囲を出ず、こんな苦痛な人生ってあるんだろうかと思った事さえあった。

大学を出て、就職をして結婚をして、子供を産んで...そこからはずれた人は学歴コンプを抱えて、多浪を繰り返したり、ワーキングプアになったり、婚活地獄で精神を病むなど、自己肯定感の低い人生を歩んでいく様子もたくさん見てきた。

私もそうなる一人であり、その運命からは逃れられない事を、何度も何度も痛感していた。

絶望しきって、生まれてこなければよかったと親を責めて、何も理解しない親だけにはどれほど大変なものを背負わせたのか理解してもらいたいと願っていた。

そこから数年でコロナもあり、人々の価値観、社会が大きく変わった。

当時の時代に馴染めない私にとっては転機だったと思う。

ネットで稼ぐ人は多くなり、今まで医師でさえも理解されなかった発達障害の感覚は、研究所や大学で次々に原因が発見され始めた。

子供を産まない事も普通になり、人の恋愛事情をに踏み込む事もマナー違反とされるようなリテラシーも整備されていった。

「当たり前の幸せ」を夢みて自立を試みていた私が、鬱やパニック発作になり、死と隣り合わせの生活になり、様々なことをあきらめた。

その結果として、誰にも秘密にし、自分を偽り、演じ、自分自身をも自己洗脳して普通であろうとしていた努力を手放す事になった。

匿名で、発達障害の事を発信し始めたばかりの頃は本当に書くだけでつらかった。

自分と向き合う事で一人で傷つき、誰もみてないのに、匿名であっても自分をまともに思って欲しいという事も伝えたくて文が迷走した。今以上に混とんとしたnoteだと思う。

ツイッターを始めて5年くらい、ユーチューブを初めて2年ほどが経った。現在のフォロワーさんツイッター5106人、ユーチューブも544人もの方が応援してくださっている。

数本のアニメ動画だけのアカウント。
露出少な目で、とてもユーチューバーと呼べる投稿頻度ではないが、自分自身の症状、治療体験に共感したり、めげない姿勢を応援してくれているコメントに勇気づけられている。

こだわってつくったアニメの構成をほめてくださる方、「続きが気になる」、「絶対続きを作成して欲しい」と言った声をいただきとても励みになっている。

発達障害の生活困難がTMS治療の力で少し快適になり、強い拘りが消えた。

それと同時に私の、虫を追いかける子供のような欲求も、今はなくなりつつある。

変わり者への社会からの迫害におびえ、「普通にならないければ」と追い込んでいた私の価値観も大きく変わった。

再生医療がいつか私の胎児の時に成長を止めてしまった海馬を成長させてくれるのではないかという期待も芽生えた。


でも、そうなってどうなるのかな。


発達障害への理解も増え、私が長年不思議だった「自分だけが違う」点、もその原因も、正式な医療機関が提唱しだした今。

私は、世の迫害から裸足で逃げ続ける必要がなくなっている。

これからは何をしていいのかわからなくなってきた。

自分にも他人にも期待しなくなった今、呼吸困難で「死」を意識した私にとって、心がわくわくする事ってなんなんだろう。

周りには誰もいない、友達も少ない、見栄を張る相手もいない。

強がる必要もない。

こうなりたいと憧れる事もない。

実際に努力家だと憧れた人は、ただ、そういう特性に生まれただけなんだという事実が判明し、今の私は、何も追いかける事が出来なくなっている。

映画や本を出す一般人がたくさんいて、私の憧れではなくなったのかもしれない。

ただ自己満足の行動だけをとって、誰も見ていない。

そんな中にいる自分はここからどの方向に舵をきるのか。

次に起こりうる危険に備えるアイデアが今は浮かばないのだ。



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