コーヒーを作ろうと思って手に取ったのは哺乳瓶
コーヒーを飲む!
コーヒーを飲む!
息子がお昼寝したこの時間にコーヒーを飲みたい!
今日こそは熱々のコーヒーを飲むんだーーー!
次の瞬間私が手に取ったのは哺乳瓶。
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思考停止した後にそのまま静かにコーヒーを作る。
なんてことない。だけどこんなところから、息子のお世話を体で覚えているんだと実感する。
出来立てのコーヒーの香ばしく美味しそうな匂いも、
ラーメン、日本茶、出来立てのご飯の熱々感も少々ご無沙汰。
冷めきったコーヒー、伸び伸びのラーメン、ぬるい日本茶、冷え切ったご飯か感じるのは、頑張った証。
でも、最近思うのです。それってもう頑張りすぎている。
頑張る自分に奮い立たされる≠頑張る自分に酔う
みんな、産後は想像を超えることばかり。障害がある子もない子もママが新境地に立つのは同じだから。頑張らないといけない時だってそう。でも、頑張る自分に奮い立たされるのと頑張る自分に酔うのは全く違うこと。
後者の場合は気づいた時には、すでに心も体も壊してしまっているかもしれない。
私がそうでした。
息子が生まれてからの私は一瞬にして変わった世界についていけず、気持ちも追いつかずに、ただただ息子の命を守ることに神経を使っていました。
そして、息子に対する愛情がどんなものかわかしませんでした。
その時からです。自問自答を繰り返してもでない”愛情とは”の答えに誤った方程式を作ってしまいました。
頑張ること=愛情の大きさ
きっとこれを読んだ多くの方々は全くの見当違いに驚かれることでしょう。
しかし、当時の私にはこれが唯一の救いでした。
息子を見て可愛いと思う・息子に尽くしたい・この世で一番大事
多くのママやパパが思うこれらのことが私には綺麗事にしか聞こえない時がありました。
自分の息子に対する愛情がよくわからないから、とりあえず息子のお世話を頑張る。息子のために頑張っている自分は愛情があるんだ。だから大丈夫。私はこの子を愛してる。
そう思わないとったっていられなかったんです。
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一見、頑張る自分に奮い立たされてるように見えますよね。しかし、これは同じようで全く違います。
頑張る自分に奮い立たされる≒頑張る自分に酔う
ではなく、
頑張る自分に奮い立たされる≠頑張る自分に酔う
私は完全に、頑張っているから大丈夫って気持ちになっていました。頑張っていないと愛情がないと思われてしまう。だから、がむしゃらに頑張る。
気づいた時には産後うつのテストに全て引っかかっている状態でした。
もちろん、一人で踏ん張っていないと立てない時はあります。しかし、それによっている状態になると気づいた時には、心も体も壊してしまっているはずです。
だから、絶対に誤解しないこと。
頑張る自分に奮い立たされる≠頑張る自分に酔う
”頑張るのと、それに酔うのは違うということ”
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もし、これを読んでくださった方が、同じように哺乳瓶とコーヒーを間違えていたら、冷凍食品を冷蔵庫に直そうとしていたら、気づくといつも意思と違うことをしていたら、
手を止めて、休息をとれる時間を確保できないか検討していただけると嬉しいです。
みんな、頑張っている。頑張りすぎている。それを認めて笑って過ごせる工夫をしてみませんか?
私も、再び自分を見失わないように心に留めておきます。
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