【気まぐれショートショート】メガネ朝帰り
その昔、ある高名な僧侶が長きにわたる修行の末、ついに涅槃の域まであと一歩というところまできた。男にはただひとつ心残りがあった。
仏門に入る前、男は妻を家に置いて来た。以来、一度も帰らぬまま今日まで来たのだ。
悟りの境地に達するにはこの想いも煩悩として完全に消さねばならず、男は最後の最後で迷いが捨てきれなかった。
どうしたものかと考えを巡らせながら日課の散歩をしていたある日、一羽の孔雀が男の行く手を遮るかのように降り立った。孔雀はじっと男の顔を見つめていた。
「お前に頼みがある。もし私が涅槃の域に達したとき、家族に私が持ちものを届けておくれ。さすれば思い残すことは何もないだろう」
男が言うと、孔雀は何も言わず飛び去って行った。
それからほどなくして男が悟りを開いた翌朝、男の家族が暮らす家の戸を叩く音がした。妻が何事かと飛び起きて急ぎ戸を開けると、そこにはあの孔雀がいた。足元には、男が生涯身に着けていたメガネが置いてあった。
(410字)
今週もお邪魔しています。
お題を元に書いてみると、その言葉から普段意識しないような新しい発見があって楽しい。
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