見出し画像

日本百名山を完登して

2024年9月利尻山を登頂し2014年から足掛け10年かけて日本百名山を完登しました。日本百名山のチャレンジについて賛否は色々ありますが、私に取っては人生におけるエポックメイキングであったため、自分自身の備忘録も含めてまとめました。ご興味ある方は、おつきあい頂けたら幸いです

⚪︎きっかけ
2014年より前は高尾山ぐらいしか行った事がなかったのですが、飲み食いだけのファミリーキャンプに飽き始めたとき、ふとしたきっかけで家族で金峰山を登頂し、その後ソロで奥高尾、奥多摩などを巡り山行を始めました。山岳部、ワンゲル部、山岳会とも縁のないいわゆる全くの素人です。翌年北岳、左俣コースの3,000mの世界で一面お花畑の別次元を経験しいつか登れたらと意識するように。団塊ジュニア世代40歳を超えてからの挑戦でした

⚪︎調和を中心とした最初の6年間
2014年から2019年内までに登頂したのは23座です。当時は子供が手がかかる年頃で3ヶ月に1回、宿泊は年1回っていうのが仕事、家庭を考えての暗黙ルールに。百名山完登なんて想像もできませんでした。奥穂高山荘の相部屋で完登された方とご一緒した際、70座登頂を超えてから加速して毎週行ったって話聞いて、離婚しそうな時ってなかったんですかって言う質問寸前でやめた記憶を今でも覚えてます。

その中家族とはトータル10山程一緒に登頂しています。同じ楽しさを感じて欲しい事、私の山行の理解をして欲しい事など、ファミリーガイドとして最大限務めました。綺麗で行程内にこまめにあるトイレ、お風呂がある山小屋、ロープウェイがあり初心者に優しいなど、山嫌いにならないようにかなり気をつかいました。結果、山好きまでには至りませんでしたが、楽しんでくれて一定の理解を得ることができて嬉しかったです。逆に家族の好きな海リゾートは毎夏必須イベントとなり、山行時は果物かスィーツのお土産を買って帰宅することとなりましたが。

⚪︎本格的なチャレンジへ
2018年から始めた雪山に加え、子供も手がかからなくなり、2020年頃からは基本月1回、泊もあり、暗黙ルールがだいぶ柔らかくなって残り77座を4年間で登頂しました。コロナ後もリモートワークが現在も職性から利用でき、終業後、前泊で即移動するなど時間を有意義に使えるようになったのも大きかったです。山行はソロでした。ソロの良さは計画をギリギリまで自由に変更できること。天気が非常に重要です。天気予報サービスとして有償版の2つ、Windyとてんくらの元である天気.jpを利用しています。特にWindyは各国が個別のアルゴリズムで策定した天気予報が並列で見れてかなり役立ちました。本州は全て車移動ですが、北海道、九州は飛行機、レンタカー、宿など予約が必要でどうしても計画変更に制約がかかります。そのため予備日を必ず入れてなんとか、いい天気の日にチャレンジするよう心がけました。

⚪︎スキルアップとリスク管理
最初は近くの図書館で百名山や登山の本を片っ端から手をつけ、途中からはヤマレコ、YAMAPのレポを読み漁り、頭のシュミレーションと実践の繰り返しでした。レポは大変参考になったので逆に恩返しをしたいと登頂時に必ず書くようになりました。ここで最初6年程の3ヶ月ルールが役に立ちます。一つの山行に対する事前準備を相当行い、百名山達成はまた夢の夢な時代ですので、無理と思ったら即撤退とかなり気持ちに余裕を持って臨めました。また3年目に赤岳、4年目奥穂高岳、5年目槍ヶ岳と徐々にレベルアップしたのも自分の経験値を把握できて無理のない計画を立てる要因となりました。また性格的に小心者なので、なんかリスクがあれば即撤退、計画変更の繰り返しでした。

また6年前から雪山を始めました。雪山は危険度が増しテクニックが必要。講習は受けませんでしたが、あるメジャーな雪山で山岳講習をやってた時、隣でじっくり聴いて別の山でピッケル刺し訓練をしたり、グローブつけてアイゼンつけ訓練をやったりしてたのは懐かしい思い出です。現在、残雪期の西穂高岳山頂まで登れるようになりました。

⚪︎なぜ百名山にハマったのか 〜想像〜
小中高と乗り鉄で時刻表を真っ黒するぐらい読み老けてる学生でした。何が楽しいかと言うと、机上で想像した世界を現地で確かめる、体験することがたまらなく面白かったからです。実際に乗って想像を超えた絶景、トンネルの深い音とか五感を最大限使う瞬間がたまらなかった。百名山をチャレンジしてた時、同じ事を意識してませんでしたが、14サミット登頂の竹内洋岳さんの本を読み、山の楽しさは想像と想像を超える自然とのギャップだって読んで、なぜ自身が山にハマったのか全て腹落ちしました。

⚪︎なぜ百名山にハマったのか〜メンタル管理〜
私は20歳後半から外資系ITソフトウェア会社の営業職で働いてます。最近は聞こえがいい業界ですが、役割と責任が明確で、全ては実績とプロジェクトの成果の世界。映画のように退職する仲間も見てきました。いわゆるプロスポーツ選手のような感じです。人間誰しも好不調がありますが、その中でも最高のパフォーマンスを出さないといけない。どーやったら自己管理できるのか、30歳代はストレス解消に夜、街に繰り出しながらもなんか違うと感じていました。お金も使うし体にも良くない。

ここで偶然、百名山に出会いました。40歳を過ぎ仕事も家庭も変化が多い多感な時期。柱としてストレス解消を自己完結したいと。ただ、解消できないと最悪、鬱などマイナスに触れてしまう。百名山は一般人にとって、準備すれば手が届く山行です。目標を持って計画を立て、登頂し無事下山した時の爽快感は言葉ではなかなか表現できません。山頂までの最初樹林帯などの辛い登りの時は、ストレスの原因になる事など思い出します。体も重たく撤退したくなることもしばしば。しかし、体慣れて途中の稜線や、山頂などでの素晴らしい景色を見ると全てが解消されます。やな事を全て忘れてしまうのです。下山時にはいい思い出しか残ってません。スティーブ・ジョブズが瞑想でメンタルをコントロールしてたのに近いかも知れません。結果として仕事、家庭ともストレス解消を他に当てるようなこともなく自己完結。パフォーマンスを最大限発揮するべく、円滑に生活できるようになりました。
仕事も50歳を超えてからもなお最先端のIT製品を扱う仕事に従事できています

⚪︎なぜ百名山にハマったのか〜体調管理〜
山行で大変勉強になったのは、体調管理です。熱中症、低体温床、怪我しない疲れない歩き方、準備など今まで経験したことないことばかり。中高大とテニスをやっていたのですが、当時と体重を比較すると+1キロぐらい。どれぐらい食事をしたら太る、登るのにこれぐらいは食べとかないといけないなど、今はだいたいわかります。タンパク質、脂質の取得など栄養管理も意識するようになりました。

コロナ後リモート仕事も多くなった事もあり、足腰を維持するため定期的にジムへ行くようなりました。
また沿線でアプローチしやすい高尾山から陣馬山はいいトレーニングの場、山行立て込んでない時は、月一行くようなりました。
今の体重計はハイテクであらゆる体の数値を取得できます。この数値も管理に大変役立っています。

ただし、トレーニング後のビールが一番の楽しみですが

⚪︎なぜ百名山にハマったのか〜山旅〜
これは多くの方々が感じるかも知れませんが、日本全国を回りますからご当地グルメ、温泉など登頂前後の楽しみも非常に多い。私は可能な限り、現地のターミナルのような駅や繁華街に行きお土産を買ったり、昔ながらのスナックで楽しんだり各地域の特色を肌で体感したいと考えています。都会からは見えない現状が垣間見えて新たな楽しみになりました。

⚪︎なぜ百名山にハマったのか〜ドライブと音楽鑑賞〜
乗り鉄でしたが、成人してからドライブに変わりました。No music &No life の学生時代だった好きな音楽鑑賞と最高の組み合わせです。青春18きっぷで長時間乗っていたのと同様、長距離の運転も気になりなせん。本州は全て愛車移動です、自ずと走行距離が伸びて年間2万キロに近くなる年も。都内在住サンデードライバーとしては異常です。下取り価格なんて意識しても意味なく、乗り潰すつもりで乗っています。愛車で日本全国を移動していると、車にも色々な思い出が乗り移り、ますます手放せなくなりました。

⚪︎最後に
数々の山行で多くの方々と知り合い、その後もいろいろなアドバイスやたわいもない山話をするなど山友としてお付き合い頂いてる方々がいらっしゃいます。素人が山岳会などに入らずソロで始めた背景もあり、年齢問わず決して驕らず同じ目線でコミュニケーション頂けるのは私にとって大きな財産になりました。年齢を重ねてアルプスなどに行ける体力がなくなっても、その時は山友がたくさんいい山を推薦してくれる気がします。百名山をきっかけに、山という共通言語で利害関係のない、純粋にこれからの人生が楽しくなるような仲間を得た事の喜びが、百名山チャレンジ完登後の一番の感想でした。これからも俺100山&ルートでチャレンジしていきますので、山友の方々、これからお会いする方々末長いお付き合いよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集