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初めての保護猫 第4話(#シロクマ文芸部)
星が降る寒い夜に生まれたから、星子。
いや待てよ、生まれた5匹の仔猫の性別が分からない。
しかも生まれてきた順番が分からなくなってしまった。
一番初めの呼吸をしていなかった仔猫は白い体に頭の上だけグレイの斑点があったのを覚えている。体も一番小さかった。
呼吸を促すのにマッサージしたり、へその緒を切ったり、パニックになっていて、仔猫たちの生まれてきた時の体重を量ることを忘れていたし、しるしのリボンを結ぶのも忘れていた。
「これじゃ全然わからんな」
落ち着いたら病院へ連れて行こうと思っているが、初子がどうしても仔猫に触らせてくれない。
今朝産箱を覗いたらもぬけの殻で、初子も仔猫もいなかったから慌ててしまった。
押し入れの引き戸が少し開いていたから、初子は自分でこじ開けて押し入れの奥に仔猫を連れて隠したようだ。
あまり産箱には近づかないようにしていたが、餌と水を運んだりするし、仔猫を触ってみたい衝動に駆られて、何度も産箱の中を覗いていた。
それにいずれは仔猫の里親探しをしないといけない。それにはやはり仔猫の特徴を確認しておく必要がある。
初子が5匹の仔猫を無事に出産し終えてから1週間が経っていた。
初子は仔猫を舐めたり乳を飲ませたり、5匹の仔猫の世話で疲れているように見える。
食事もいつもより食べる量が少ない気がする。
「おい、もっとたくさん食べないと栄養を全部仔猫に吸い取られちゃうぞ」
仔猫の性別や猫エイズ(猫免疫不全ウィルスFIV)に感染しているかどうかも気になるが、初子の体調も心配だ。早く病院へ連れて行きたい。
ちょっと乱暴な真似をしてしまうが、仔猫を庇って威嚇する初子を洗濯ネットに強引に包んで、仔猫たちと一緒に病院へ連れて行くことにした。
自転車ではさすがに大きなゲージを運べないので、タクシーを使うことにしたが、運転手は猫が嫌いなのか、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
ちょっと前までは私も同じような対応をしたかもしれない。動物と縁のない生活に慣れていると、犬や猫なんてものは面倒ごとのひとつだ。口があるものは食べさせるのにお金がそれなりに掛かる。トイレの世話は臭いし汚いし今でも嫌だ。保険も掛けていないから病院の診察代は、年金暮らしの私には頭が痛い問題だ。こうしてタクシーで移動したのも何年振りだろう。
それもこれも猫たちの為。いまだに慣れなず体に触らせもしない初子の為に、私も変わったものだ。
病院に到着して受付を済ませ、待合室に座っていると隣にいいた女性がずっとニコニコしてゲージの中を覗いている。
「仔猫ですね、可愛い。いつ生まれたんですか?」
当然と言えば当然だが、ここは動物病院だから犬猫好きの飼い主が集う場所だ。さっきのタクシーでの体験とは真反対の反応だ。
「1週間くらい前に生まれたんですよ。今日は検査してもらいに来ました」
「赤ちゃん、元気に鳴いていますね。お腹空いているのかな」
そうかも知れないが、洗濯ネットに強引に入れてしまった初子の方が気になる。仔猫たちと洗濯ネットで隔てられて、ずっとブルブル震えている。かなりのストレスに違いない。
人気のある病院のようで、1時間ほど待たされた。
手慣れた扱いで、看護士が初子を抑えている。その間に井上先生は仔猫の性別を教えてくれた。1番初めに生まれた仔猫と背中に黒い斑がある仔猫は雌で、あとは全て雄だそうだ。そして猫エイズ(FIV)に感染している可能性が高いということも伝えられた。
仔猫を一通り検査すると、次に初子の診察に取り掛かってくれた。
「口内炎ができてますね、免疫が低下しているせいです。体温も高いのでFIVを発症していると考えられます」
やっぱりそうか、思っていた最悪の言葉を聞いてしまった。
「仔猫たちもでしょうか?」
「仔猫はまだ生まれたばかりなので、検査しても感染確認には数か月かかります。初乳は飲んでいるので、仔猫のことを考えるなら初子ちゃんと仔猫たちを分離した方が良いんですけど、そうなると仔猫の世話が大変になってきますね」
母猫と分離するとなると、3時間毎に仔猫の授乳をしなければいけない。『仔猫の育て方』という冊子を手渡され、一通りの説明をしてくれた。仔猫の世話をする傍ら初子の世話もある訳で、そんな重労働はできそうもない。
「そんなこと、とてもできませんよ。初子だって俺に慣れてなくて触らせてもくれないし、初子の世話と仔猫の世話を同時にするなんて無理です」
こんな展開になるとわかっていたら、初子を保護なんてしなかった。あの時、ちょっと可哀想だなと思ったから、元気になるまでの期間限定の保護のつもりだったし、そもそも妊娠していたなんて気付いていなかった。
「そうですよね、猫を飼ったことがないとおっしゃってましたし。とりあえず初子ちゃんの口内炎の薬と栄養価の高いフードを食べさせてこのまま様子を見ましょう。初子ちゃんの症状が酷くなれば、その時々で臨機応変に対応していくということでどうでしょうか?」
「わかりました」
そう返事するしかなかった。無責任だと言われるかもしれないが、本当は自分には手に負えないので、病院で何とかして欲しいと言いたい気持ちでいっぱいだった。
あの時、泥だらけの初子を見て可哀そうだと思った情け心は、いとも簡単に命の保護という責任に押しつぶされてしまう。経験も知識もない者が安易に立ち入ってはいけないのだということを痛感した。
「えらいことになった」
会計を済ませるまでの時間、待合室で何度この言葉をつぶやいただろう。
帰りのタクシーでは運転手が猫好きだったようで、仔猫ですか? 生まれてどのくらいですか? 可愛いですねなど。質問攻めでげんなりした。
初子と仔猫5匹を入れたゲージを病院まで往復した疲れと、これから先のことを考えると正気ではいられなくなりそうだ。今日の診察代金は初子と仔猫5匹分で3万5千円支払った。しかも今後も初子は定期的に受診をしなければならない。高栄養のエサ代だってバカにならないし、その他にもトイレ用の猫砂とか、仔猫が大きくなれば5匹の仔猫のエサ代もある。それなりに蓄えはあるが、この調子で毎回支払いが重なると、年金暮らしの自分には負担が大きすぎる。
初子の出産に立ち会って、仔猫のへその緒を切ったり、仔猫を甲斐甲斐しく世話をする初子を見ていると、情が湧いてきて里親など探さなくても、このまま自分と一緒に暮らしていけたらと思うこともあった。産まれたばかりの小さな体で必死に乳を吸う仔猫たちも愛おしく、里子に出す時は辛いだろうなとか想像したりしていた。
でもそんなことは夢のような上辺だけの感情論で、現実は全く甘くない。
初子を保護する前にそうした現実を知っていたら、間違いなく初子を見殺しにしていたに違いない。
えらいことになった
タクシーの運転手の浮かれたような明るい会話には、到底応える余力など残されていなかった。
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