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初めての保護猫 第2話(#シロクマ文芸部)

※シロクマ文芸部のお題に沿って物語を書き始めました。
最後まで書けたらいいな。
第一話は👆こちら。 

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 夢を見るなんてことがあるのだろうか? 猫だぞ?
 病院から連れて帰った初子は、大きめの段ボールで作った産箱で寝始めた。ホットカーペットの上に産箱の段ボールを置いているので暖も取れているだろう。
 慣れない環境で疲れていただろうし、すぐに寝息を立てて、夢でも見ているのか、うにゃうにゃと口を動かしている。

 さて、これからどうしたらいいのか?
 獣医の井上先生の説明だと、いつ出産が始まってもおかしくない状態だという。初子がエイズキャリアだということで、とにかく体調管理が大切だと耳が痛くなるほど言い聞かせられた。免疫力が低下するとエイズを発症してしまうので、ストレスを与えないようにすることと、栄養管理が大切ということだった。
 とにかく井上先生は動物ファーストだ。初子の幸せを一番に考えているのは、私じゃなく井上先生だろう。

 初子の寝顔を見る限りではストレスはなさそうだ。
 食事は病院で勧められた餌を買った。
 何でこんなに高いんだ? とにかく高価な餌で驚いた。猫なんて猫まんまという言葉もあるくらいだから、白米にみそ汁をぶっかけたもので充分だろうと思っていた。
 なんで拾った猫の為にここまでしないといけないのか? 次の年金受給日は一ヶ月も先なのに、預金通帳を老眼鏡越しにまじまじと眺める。
 寡の一人暮らしで自由気ままにやってきたが、初子と出会ってしまったことで色々と物入りになってきた。
 ホームセンターでは「猫トイレと猫砂も絶対必要です」と店員のお姉ちゃんに言われ買う羽目になった。
 猫って外でトイレを済ませるんじゃないのか?
「お前が来たお陰で大変だよ」
 スヤスヤと寝ている初子にぼやいてみる。
 すると寝ている初子のお腹がぐにゃっと動いた。
 お腹の中の仔猫が、母親の初子の代わりに返事をしたのかもしれない。
 信じ難いが、このお腹の中に5匹も仔猫がいるのだ。
 しかも生きている。
 急に気持ちが焦ってきた。初子が産気付いたらどうしたらいいんだ。
 事ここに至って狼狽えてしまう。
 猫だから人間と違って自分で勝手に産んで、5匹全部を世話して育てるんじゃないのか? こんな小さな初子に、そんな大仕事が出来るだろうか?
 亡くなった妻は、二人の息子たちを育てるだけで精魂尽き果てたと言っていたほどなのに。
「初子、お前は5匹だぞ。大丈夫か?」
 病院でもらった『猫の出産の流れ』という冊子を取り出し、入念に確認する。出産のシミュレーションを始めたら、なぜか手が震えてきた。
 血が出るのは苦手だ。しかも冊子には親猫が仔猫を舐めたり世話をしない場合は、へその緒を切ったり体を拭いたりして下さいと書いてある。
 そんなことやったことないし、そもそも自分の息子たちの出産にも立ち会ったこともない。
 いざとなれば病院へ連れて行けばいい。冊子を閉じて考えるの止めた。
 何とかなるだろう。
 そう思い込んでその日の夜は寝ることにした。

 翌朝、初子の鳴き声で目が覚める。
「なおーん なおーん なおーん」
 
外に出ようとして、窓枠を引っかきながら叫ぶように鳴いている。
「どうした、外には出られないぞ」
 声を掛けるが初子は鳴き止まない。
「腹減っているだろう、朝飯にするか」
 茶碗に餌を入れて初子の前に差し出すが、食べようとしない。
 田んぼのあぜ道で拾うまで、どうやって生きていたのかわからないが、外の世界で自由に過していたのだろう。
 だとすると狭い家の中で閉じ込められて窮屈なのかもしれないし、もしかすると初子は飼猫で、飼い主の元へ帰ろうとしているのかもしれない。
 首輪もしていなかったしマイクロチップもなかったことから、おそらく野良猫だろうと思っているが、井上先生の勧めで保健所への連絡だけはしておいた。
 飼い主がいるなら早く名乗り出て欲しいが、可能性は低いだろう。
「なあ、お前はこれから仔猫を産んで育てなきゃいけないんだぞ。外に出てどうするんだ」
 初子は威嚇はしないものの、近ずくと一定の距離を保ち慣れ合うつもりはなさそうだ。切なげに鳴く初子を見ていると、このまま家の中に閉じ込めておくことが酷い仕打ちをしいているように思えてくる。
 外は車に引かれたり外敵に襲われたりといったリスクがあり危険だと、完全室内飼いを推奨されているが、ひょっとするとそれは人間のエゴなのではないか? 初子は外に出たがっているのだ。安全だが窮屈な生活より、リスクがあっても広い世界での自由を求めているのではないか? 
 餌や雨風がしのげる場所を作ってやって、家と外を自由に出入りできるようにしてやることもできる。その方が初子は嬉しいんじゃないか? 犬や猫なんて昔からそうした環境で飼われてきたじゃないか。
 そんな自問自答をしながらも、初子の大きく膨らんだお腹を見ると、とにかく無事に仔猫を産み育てた後のことだと思い直した。エイズキャリアの初子には外での出産は無理だ。小さな命だが、このまま諦めたくなくて初子を連れて帰った。
 亡くなった妻が最初の子を流産した時に、病室のベッドで泣き崩れていた姿が蘇り、猫とはいえ妻と同じような経験をさせたくない。だってあのまま引き取らなかったらお腹の仔猫を堕胎させると獣医の井上先生は言ったんだ。体よく責任を押し付けられたのかもしれないが、そんなの到底承諾なんてできなかった。

「とにかく餌だけは食べろ、体力つけないと俺が井上先生に注意されるんだぞ」
 当たり前だが、初子には人間の言葉は通じない。説得を諦めた。

 初子の鳴き声を聞いていると気が狂いそうになったから、借りていた本を返しに図書館へ出掛けることにした。
 気分転換のついでに、かねてから所属している囲碁サロンへ顔を出してみた。
 常連のK氏とY氏が対局中だった。
「久しぶりじゃないか、もうすぐ終わるからこのあとやるか?」
 Y氏がニヤニヤしながら誘ってきたが、K氏はまだ負けるとは決まっていないと足掻いているようだ。
「一局手合わせしてもらいたいところだが、そうゆっくりも出来いないんだ」
 初子の件を説明すると、二人してケラケラと笑いだし、
「らしくないな、野良猫だろ?」とK氏。
「ほっとけほっとけ、世話したところでお前さんの方が先にくたばっちまうかもしれないぞ」とY氏。
 それが正論なのだろう。
「でもなー、乗り掛かった船だし、見殺しにしたら罰が当たりそうでな」
 一度は病院で腹を括って連れて帰ったはずなのに、揺れ動く自分の覚悟のなさが情けない。
「顔を出しただけだから、今日は帰るよ」と、二人に別れを告げてサロンを後にした。

 夕飯の材料をスーパーで買って家に帰る。
 部屋の中はシーンと静まり返り、初子は大人しく産箱で寝ていた。
 餌も完食してトイレも済ませてる。
 スコップで猫砂を掬っていると、なんだか可笑しくなってきた。
「なあ初子、凄くでかいウンチだぞ。お前、鳴いてる割には食うんだな」
 仔猫の分も餌を増やした方が良さそうだ。
 そういえば仔猫の名前を考えていなかった。
 こりゃー大仕事になりそうだ。
 

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