母の教え|「人は人、自分は自分」

自律を大事にする母と社交的な父

昭和12年生まれで57歳で亡くなった私の母は今思えばちょっと変わった人だったというか独自な人で、そのあたりが、私の生き方にもかなり影響を与えたのだった。
「人は人、自分は自分」と、人と比較することなく我が道を行きなさいというのは物覚えがついた頃には言われ始めていたことで、例えば、近所の幼馴染が買ってもらったおもちゃを自分も欲しいと言えば、「人は人、自分は自分」と断られたのだが、半分は自律した生き方が大事だよという教えで、半分はうちがあまり裕福ではなかったせいかもしれない。
母は小学校の教師をしていた。当時は土曜日には午前中が授業があって、先生たちは昼食をとってそのまま作業をしていたのだと思う。がしかし、母親はさっさとうちに帰ってくるのだった。「せっかくの半ドンに、てんやものなんか頼んでダラダラ仕事してる人たちとは自分は違う」ということで、「自分は自分」という正義のもと、人付き合いに引っ張られることなく我が道を選びうちに帰ってくる。そんなよく言えばさっぱりとした、悪く言えば人付き合いにドライな人だった。
一方私の父親は大手企業の地方工場の事務方で、同僚との付き合いもよく、一緒に酒も飲めばゴルフにも行き、うちで麻雀をして楽しむようなタイプだった。この性格も自分は受け継いでいて人との付き合いは悪い方ではないが、どちらかと言えば「人は人」という父のキャラとは相反する母のキャラの方を強く受け継いだような気がする。

相反するキャラを持て余すこともないか

私はこんな相反する二つのキャラを受け継いでいるので、アイデンティティーがなんだか複雑で、自分でもよくわからなくなることも多い。「自分は自分」と思いつつも人との付き合いを求めることもある。
考えてみれば、「自分は自分」というのは自分の在り方の問題で、「社交性」は外部との接し方の社会性の問題。相反するということは本来ない二つのコンセプトで、「自分は自分という生き方で人々とよく交わる」ということで両立することなのだが、なかなかうまく割り切れないところがある。たとえば、「同調」を求めるグループにおいては、なかなか「自分は自分」ということが認められにくくて、それを押し通すと「変わり者」とか言われ始めるのだ。
還暦を目の前にした今となると、「自分は自分で他者はどうでもいいや」という境地にちょっと近づいてきているような気がする。それは学校や職場といった「目的志向の社会集団」という、「外れたらやばい」といった集団から離れたからなのだと思う。それにしてもこう考えてくると、自分はかなり「集団」に向かないタイプと再認識されて面白い。

自分の人生の目的を意識すること

「人間は社会的な動物である」とはアリストテレの言葉だが、その前に「人間は動物である」わけで、個体として生き抜くという覚悟というか目的はまず持っているというのが前提ということになるのだと思う。その上でその目的を達成するためには「社会的」である必要があるが、「的」というだけあって、自らが「社会」である必要は全くないのだ。
「自分は自分」と自らの目的を生きるために社会も利用するというのがアリストテレスの言葉の真意であるとするならば、自分の生きてきた人生は満更でもなかったと思うし、これからもこの調子でいけばいいやと、なんとなく安心できる。だから、「社会的」なものに「自分」が潰されそうになると感じることは誰にでもあると思うけれど、「社会的」なものは絶対でなくて、必要に応じて選択することができるものなのだから、「自分は自分でいいんだもん」と、飄々と自分本位に生きていっていいのが人間なんだと思う。





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