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雨音が充満する夜の部屋で

 彼は、まるでどこかに目的地があって、いつもそこに向かって一人で歩いているようだった。

 とってもシンプルにまとめてしまえば、「生まれる」という一つの命の始まりのポイントと「死ぬ」という終わりのポイントの間にあるのが「生きる」という時間なのだと思う。そして、人はそれぞれがこの世に生まれて、生きて、死んでいく。生きるという時間は唯一命の長さの単位という意味しかないのかもしれない。どこかに目的地があってそこに向かって一人で歩いている時間。

 でも人は完全に孤独なのではなく、それぞれが生きるその一生の中で、他の時間を生きている自分以外のものに出会う。たいていが人間で、動物だったり、植物だったり、そういうものに出会う。

 星の図鑑を眺めてみると、一つの同じ恒星に照らされて周る惑星たちだって、その軌跡はいろいろで、近づくこともあれば離れることもあって、そんな運命が人と人の間にもあると思っていた。あるときは近づいて共に生きて、またある時は出会ったときと同じようなスピードでスーッと離れていくといったイメージがいつでも心のどこかにあったと思う。そうやって、いつかはそれぞれの「死」に、それぞれが向かっていくのだと覚悟をするというわけだ。

 自分よりも15歳も若い友人が、その「生きる」時間を「死ぬこと」で終えたのは今年の夏だった。一緒にいれば心地よく楽しい時間を過ごしていたけれど、彼は彼自身の目的地に向かって歩き続けて、いつの間にかそこに到着してしまった。

 僕はと言えば、もうずいぶん前に無邪気で無防備な年齢を生き過ぎて、それでも目的地は定かでないままに、まだ毎日なんとなく歩いているだけなのかな。ふっと気付くと、表の道路に打ちつける規則的で揺らいだ少し強い雨の音が、夜の僕の部屋に充満していた。

※写真はカトマンズの火葬で有名なパシュパティナート


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