1つのゲームを8年作り続けた話①
始まりはただ、ゲームが作りたいだけの人間だったが、
気がつけば8年、同じゲームをひたすらに作り続けてきた。
■お好み焼きのカードゲーム時代の話
これなんだとおもう?これ、ギャンパラなんです。
はじまりは、クリエイターを育成する私塾「広島ものづくりジム」で、広島を題材にしたを作ろう!という話の中で生まれた、このゲームでした。
広島のお好み焼きカードゲームです。
あ、広島風とか広島焼きって言った人、殺しますよ?ヘラでぶっ刺します。
中身はシンプルなもので、「特定の素材カード」を集めたら勝ち!というセットコレクションゲームでした。他のプレイヤーの手札を奪ったり、交換していくことで、相手を邪魔したり攻撃したりして、結構過激なゲームでした。ちゃんと、重ねてひっくり返すギミックもあり、広島のお好み焼きが重ね焼きであるところも再現していたり。
■営業失敗の話
画像には特に意味はないですが、イベントでこのお好み焼きのカードゲームを展示して遊んでもらっていた所、なんと某ソースの会社からお声掛けいただき、本社に出向いて商品グッズ案として提案することになりました。
実際にプレゼンして遊んで頂いた所、面白いという評価も頂いて、うまいことどうにか商品として制作できないか?という話になってウキウキしていたのですが……。
■偉い人の一声「いらない」
だって、食品メーカーですし、「トランプ」とか「カルタ」とか、そういうので十分だという話に終わってしまうのでした。(なお、その会社内で1年かけて作られたグッズがあったのですが、まぁ、それよりも”シンプル”なサイコロみたいなのでしたが)
こういう話は一般企業とコラボするデザイナーさんたちにも多いようで、結局の所、世の中の一般人の、ボードゲームやアナログゲームのリテラシーは、「すごろく」「人生ゲーム」「トランプ」ぐらいで、それらがつまらない人たちにとって、くだらないもの、という認識なんだなーと気付かされる1件でした。くやしかったなー。
■攻撃性とテーマの違いの気づき
この時、この偉い人にも遊んでいただいて、実際に楽しませるにまで至ったのですが、普通の人たちの感覚として、「カードを奪う」とか「相手を攻撃する」という概念が「お好み焼きというフレーバー」に対して「過激」だという回答をもらったのです。
しかしながら、これらを無くすと、ただただ交換したり、運に任せたりと、柔らかいけれども特別インパクトのないゲームになってしまうので、このときはただ、営業に失敗した、という喪失感のみが残りました。
■迷走からの瞑想
せっかく作ったし楽しんでもらえるものが、世の中に必要のないもの、というような烙印を押されたような気持ちで、かなり凹んだのですが、どうにか作り直したい、まだ、ゲームを作っていたい。そういう気持ちから……。
4時間ほど座禅しました。わがやの和室で。
自分の目の前に、ブランクのカードを何枚もおいてひらすらにひたすらに、向き合いました。ときに傾け、ときに頭の上に置き、ときに投げつけ、たった1枚の紙で無限に遊ぶ、一人のおっさん。完全に異常者ですね。
数時間、向き合っていく過程で、この紙切れが「拳銃である」ことを見出しました。そう、このカードの誕生です。
これが一番最初のカードの誕生の瞬間でした。
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