キモいしこり/顔の自信/今は仮の姿|つれづれぼやき
キモいしこりができた
私は最近、体にひとつしこりができた。
しこり誕生の瞬間は、確かきっかけは蚊に刺されだった気がするんだけど、それを放置していたらいつの間にかできものレベルから「しこり」レベルになってしまっていた。
まわりの皮膚と明らかに違う色と質感で、赤紫で、こりっと固いかんじがする。
それがものすごく気になって、すぐにでも取りたい
いろんなタイミングでそれを見ると超絶バッドに入ってしまう
そのくらいの存在感と脅威を私は感じていた。
これは…たぶんおそらくきっと絶対に皮膚ガンだ!!!
そう確信して皮膚科に駆け込んでみたら、悪性はないしこりらしく、抗生物質を飲んで治すとのことだった。
悲しかったのは、それがそのまま一生体に残ることにはなると思う、と言われたこと。
悪性でないがゆえに取り除く必要はないらしく、でも見た目が気になるならと手術で取り除こうとすると、まずこの腫れや赤みを抗生物質を飲んでなくしてからでないといけないらしくて
抗生物質を数週間飲んでも、いっこうに赤みや腫れは引かずに、ただ一人前の「しこり」として体に居座り続けた。
この野郎いっそのことカッターでこそげ取ってやろうかという気持ちを掻き立てられたことも何度もあったけど、そういう勇気を私は持っていないのでただしこりをいじくるだけの日々を送っていた。
このしこりが取れないと次に進めない、くらいの気持ちだったんだけど
とりあえず、血も汁も出てないそのしこりに、自分の目に入らないようにばんそうこうを貼ってみた。
そうしたらあら不思議、しこりがあんまり気にならなくなった…
しこりへの嫌な気持ちすべてを、小さく薄い1枚のみじめなばんそうこうだけに背負わせている罪悪感は感じつつも
医者も、まわりも、別に気にするようなことじゃないんだけど…という姿勢だった
けれど自分はどうしても気になっていたことに
ただ一時的な蓋をしただけで 臭いものにフタ、をしただけで
だいぶ生きやすくなったなぁと思った!!
親も傷を見るとおおごとにするタイプだったなぁ
私はささいな傷でもものすごく過敏になってしまうところがあるんだけど
そういえば、母がなんでもかんでもすぐ決めつけて病気に仕立てるというか
そう思い込んでしまうタチの人で
肉付きがよい=妊娠した!!
どこか腫れてる=ガンだ!!
と母親ヤブ医者診断をして騒ぎたてて、病院に行ったら医者からなんともないと言われた
というエピソードが家族全員分あって、家族の定番の笑い話みたいになっていた。
けど、これさあ…
いや、この年にまでなってまーた母の愚痴をグチグチと、みっともないけどさ
とは思いつつ、なんか色々と察するところがあるな
病気だ!!!と言われるたびに取り返しのつかない不安な気分にさせられていた子供時代だったなぁ
私もこの遺伝子のままに人生突き進んでいたら母のような仕上がりになったのかもしれないけど
いや、他の人から見たらもうお母さんそのまんまの人間性だね! と思われるのかもしれないけれど
自分としては、彼女と明確に差があって、差を検知できていて、いろいろ手助けを得ながら🌈
こうして気づけるのが嬉しい。
顔に自信がなくてわざと会社のウエブ会議で見切れている
私は最近フェイスラインが気になって、会社のオンライン会議で「ちょっとカメラの立て付けが悪いんです」感を醸して、顔が少し見切れるカメラ位置にしている(笑)。
これも、体にできた良性の「しこり」と一緒で、誰も気にしない、誰が気にするの、ってところなんだろうけど
ちょっと見切れさせることで心の安心感が違ったりする
でも、これも「あっこの人ちょっと見切れさせるふりしてフェイスライン隠してるな~」とわかる人もいるのかなぁ
いや、でもそれに気づく人は同じことを気にしている人だけだよね
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない!!!(うろ覚え)
おそらく、このフェイスラインを整えたとして、整ったところで得られるのは
「えーなんであの人整えてないんだろー」
っていう、他人への厳しい視線というか、基準というか、そういうものだけなんじゃね? って
整形インフルエンサーはみんな、人のためでない 自分のため
他人の容姿は気にしていない
という文言で売ってはいるけれど…
自分が気になり、自分で敷いた基準みたいなものを強く意識しちゃっていたら
それに満たないものを”下”に見てしまうのは当たり前だよなと
「自分基準」っていうしこりを取り除きクリトリスせよ
「自分基準」の心のしこりを治すのは難しくて
そのしこりは汚く赤黒く色づいて、たまにそこに毛が生えたりして、毛穴もでかくなって
見ていられない汚く大きい「自分基準」のしこりになっていくんだと思う。
でもそれが人間の常なので、
しこりをそのままにしていてもいいし、しこりにばんそうこうを貼って自分から見えなくしてもいい
でも、心にずっとわだかまってる、なんかあるとモヤモヤする「自分基準」のしこりを根本から治療したいという気持ちが少しでもあるなら…
「今は仮の自分」っていう気持ちがずっとある
私は(てか人間みんな?)「でも、今はちがくて!今の私はちがくて、理想とする自分の像があって、それに到達するまでは仮の自分で、理想のほうが私の本来の姿なの」
みたいな意識があって
体にしこりができた自分も私はまだ自分で受け入れられていなくて、治療段階の「仮の姿」って思ってる
満足のいかないフェイスラインも「仮の姿」って思ってる
今は本当の私じゃない、、っていう思考は幼稚園生くらいの頃からあったかな?
今までたぶん、それなりに目指した理想や立てた目標を達成した経験もあったと思う。でも
「現状でイイやあ」「ずっとこのままがいいのにー」「今、幸せ~!」みたいな考えになった記憶がぜんぜん思い出せない。
次のステージ、次のステージ、と求めて動いていたことを、当時は「向上心がある私✨」くらいに思っちゃっていたけど、向上心じゃなくて、なんというか、大きな「焦燥感」だったし、焦燥感に追われ続ける人生を送っていたら途中で完全につぶれた。
HKTの人気メンバーでありながら、目標を叶えても満足感を得なかったらしい兒玉遥さんのうつ病に関するインタビュー
これもめっちゃ、焦燥感に追われているかんじが伝わってきて共感した。(おこがましい!)
だから、現状で足るを知る、現状から幸せを見つける視点を養うことが大事だって
その「足るを知る」モードをどれだけキープできているかが、幸せの境界線? 定義? なんだって感じた。
大昔から無限の人々がそう言ってきたんだろうけど、そんでたぶんその言ってる人も常にそれをキープはできてなかったんだろうけど。
「自分の見方次第で世界がおもしろくなる」と再認識させてくれた、たむらかえ
最近ドはまりして一日ですべて(たぶん)の動画を見漁った
たむらかえ!
彼女は家の中で、流行りのコンテンツを使うことなく
ただ自室の中にいてひとつのテーマについてしゃべっているだけでおもしろい。
彼女の「視点」がおもしろくて、彼女の目に入ったものすべてをおもしろく彩ってコンテンツにできる
スゲーーー