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餅つき会にておもう

自分が小さかったころ、実家のある埼玉では子供会の活動が盛んだった。一年中たくさんの催しが開催されて、そこにたくさんの子供が集まっていた。

この時期の催しと言えば、クリスマス会。
集会場に集まって、プロジェクターに映像を映し出して映画をみんなで見た。そこでお菓子が配られて大満足だった。

そして年末には餅つきもそこかしこで開催されて、いつもどこかでつきたてのお餅を食べたものだ。よく覚えているのは、近所の神社で大晦日にふるまわれる、甘酒とお餅。酒粕をお湯で溶いた甘酒はあのころ苦手だったが今は麹で作るものより好きだったりする。今思えばこの幼少時代につきたてのお餅を食べた記憶が、お餅が好きになった原体験となっている。

実家では、冬になるとよく朝ごはんにお餅が出ていた。海苔を巻いた磯部もち。スーパーで購入したサトウの切り餅である。この餅もまあ、普通に食べていたのだけど、つきたてのお餅に出会ってからは何か違うと感じていた。サトウの切り餅の辛いところは、一度焼いてから、少し冷めてしまったときだ。カチカチになったお餅は味も素っ気もない。ところが、つきたてのお餅はどうだろう。粘り、コシがあって、かみごたえがある。そしてフワッと鼻に抜けるもち米の香り。兎にも角にもつきたてのお餅の餅としての存在感には圧倒されてしまう。

ただ、実家は農家ではないし、杵と臼も持ち合わせていない。つきたてのお餅に辿り着くためには、大晦日の神社か、子供会が開催する餅つきに行くしかなかったのだ。そんな餅貧乏として長らく人生を浪費してきてしまった。

しかし、人生の転機が訪れた。

2010年。コメ農家になったのだ。
もちろん当時は毎日が精一杯で、とてもつきたての餅のことを考える余裕はなかった。でも、コメ農家としてお米を作るうちに気がついた。

これ、もち米から自分で作れたら、最高のつきたて餅が自分の思いのままに作れるのでは!!!

そこで僕はもち米の栽培を始めた。同時に杵と臼、かまどや羽釜などを譲ってくれる人も探した。願いが叶い、全てが整ったのは6-7年前。

妻とともに初めて我が家で餅つきが実現した。
そのうまいこと。でもそこで気づいた。
自分でつくと、それほど量は食べれない笑

今では毎年我が家でつくばかりでなく、人を集めてつきたて餅を食べてもらったり、地元埼玉の餅つきにももち米を提供できるようになった。

いわゆる餅富豪である。

もち米は、うるち米と比較して水分を吸いやすく、カビやすいので、昔から冬の間だけしか食べられない貴重なものとして扱われてきた。
今では年中食べられるけど、改めてお餅を大切にたくさん食べよう。つきたてを!!

ぺったんこーぺったんこー!

がん!がん!がん!

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