年賀状の思い出
年賀状が届くのも、ここまで来るとそろそろ最後かなと、
思った頃にポツンと届くのもあったりする。今日この頃です。
タイミングがずれたこの時期に届くと、なぜか余計にその人の届けたいという思いが乗っかっているような気がして、元旦に届くよりも嬉しかったりする。
我が家の年賀状は今年は約300枚。
友人や家族のほかに、お米の注文を下さった方や農業関係で知り合った方などひとまず思いつく限りはお出ししている。ただ、昨今は年賀状やめますという宣言をされる方もちらほらといたりで、年々少なくなってる。
今週末。お年玉付き年賀はがきの抽選が行われる。
これが年賀状の最大の楽しみである。正直、300枚買っても、戻りが半分にも満たないので、大赤字なのだけど、それはいいのである。
我が家の最高賞は、ふるさと小包。当たった時は本当に嬉しくて、家族みんなで歓喜したが、いざいただいたカタログをパラパラとめくった時のあの肩透かし感は忘れられん。
ということはもう1等当てるしかないのだ。今年こそ当たりますように。
そうそう、年賀状には思い出がある。
僕が幼稚園に行っていた頃、34年ほど前。
僕の年中の時のクラスの先生はモトクラ先生という女の先生だった。
かわいくて優しい先生で、大好きだったのでいつも引っ付いていたのを覚えている。そんなモトクラ先生に、年賀状を出したいと母親に相談した。当時は個人情報についても緩やかだったのか、先生に年賀状を出すことができた。年長になって、担任の先生が変わってもモトクラ先生に年賀状を出した。帰ってくる返信に色々と文字が書いてあるのが嬉しかった。
小学校になってもその年賀状のやり取りは続いた。
ところが、2年か3年生になった時、モトクラ先生からの年賀状に異変が起こった。明らかにいつもの優しい先生の書いた文字ではなかった。
内容を読むと、どうやら先生のお母さんが書いた文字だった。
先生は結婚をして、もうこの住所にはいなくなってしまったらしい。
年賀状のやりとりってなんなんだろう。
直接会って話すほどのことでもない。メールや電話で話すほどの仲でもない。そこまで優先度の高いことではない。でも、どこかで出会って長い人生の中で接点のあった人。決して他人ではないその人と、ほんの少しだけ、年に一度何気ない会話を交わす。そんな瞬間が年賀状でやり取りされている。
年賀状が返ってくると、そんなやり取りをこれからもしようね、と肯定されている気持ちになってなにか気持ちがはずむ。いいお正月が今年も迎えられたな。