Twitterで受けた衝撃 -次の世代で成し遂げる-
雑感系の投稿ですが、先日Twitterで見かけた衝撃的なTweetを共有したいと思います。
ハッシュタグをつけたことで、賛否両論が巻き起こっていますが、
単純にこの手紙の内容が正鵠を射るものです。
大人がこれを書いたんだろって人もいますが、それはどうでもいい話で。
だって、大人でもこんなにきれいにまとめられる人はそういないから。
ましてやそれを子どもが書いたとすれば、これはすごいことだと思うんです。
このTweet自体はその保護者の方がされたものです。
きっといろいろな形でお子さんに関わってこられたのだろうと思います。
僕はこの子ほど、この年齢で把握する力も表現する力も機会もなかったし、自分の子もまだそういう状態にはないけれど、これから、こうした考え方をちゃんと伝えられたらいいなと思わせられました。
また、最近いろいろなところで、
裕福な家庭に生まれた人には、貧困な家庭のことはわからない。
だって、自分自身が体験していないことなんだから、
というような論調の方を見かけることが、なぜか多いです。
僕はこれには猛反対で、自分の世代ではできないにしても、諦めなければ、次の世代なのか、その次の世代、あるいはいつか叶うと信じているからです。
正直、僕は裕福な家庭には生まれていません。
祖父の代は、広島から身一つで東京に出てきて、祖父は売れない作家で、祖母がどうにか生計を立てていたそうです。
父は3兄弟の長男。お金がないので、アルバイトのようなことをしながら、公立の学校を出て、食品系の会社に就職。
いわゆる高度経済成長の時代、バブルの時代を、とにかく誠実に真面目に働いてきました。小さい頃に祖父の手伝いをしていたこともあって、人一倍頑丈な身体だった父は、今でも元気ですが、休んだのを見たことはほぼありません(1回肺炎で入院したくらい)。
小学校までは団地住まいで、写真を見ても、だいたいいつも同じ服でした。
僕と兄はいつも家で散髪してもらって、坊主頭。姉はヘルメットみたいなおかっぱです。多分母が切ってたんだと思います。
両親も、そんなに華美なおしゃれができる余裕もなく、僕たちよりもいつも同じ服でした。今でもそんな感じの両親です。
それでも、父が徐々にサラリーマン競争を勝ち上がり、それに応じて生活水準もUPして、大学にまで行かせてもらうことができました。
父は基本的には早朝に家を出て夜中帰るような昭和型サラリーマンの生活で、母も僕たちを送り出してから夕方まではずっとパートをしていました。
そして、僕も無事に社会人になり、家族を作り、今に至ります。
父と母の背中を見て育ち、毎日の努力が重要だと学んでいました。
幸いにも時代の流れもあり、雇用環境に恵まれ、父と母の頃よりも、良い状況で子どもたちに教育環境を提供できていると思います。
何がいいたいかといえば、自分ひとりで、今何かをすることだけに縛られると、限界が来るということを常々感じます。
今僕たちができることは、目の前にあることだし、今正しいと思うことを精一杯やるしかない。
そうやってバトンをつないで、次の世代、その次の世代で良くなっていけば良いと思うんです。
それを諦めなかった人たちがいるから、日本は敗戦国でありながら、ここまで登ってきたんだと思うし、課題は多くあっても、侵略もされていないし、自然もまだ豊かな国なんだと思う今日このごろ。
失われた30年が僕の人生のほとんどだけど、その間でも僕の家系は進化している。
諦めないで、続けていくことが、いつか何かにつながると信じています。