生の苦しみを吐き出すだけ
がんばるひとです。
今日は少し頑張りすぎたようです。
それとは関係無いのですが、最近品田遊先生の「ただしい人類滅亡計画」という反出生主義についての本を読みました。
反出生主義についての本…というとめちゃウルトラ難しそうに聞こえますが、知らない人でも理解できる工夫が全体に施されていて、「難しくなかった」というほどではないですが、「そこそこ難しい」くらいにはなっていました。
この本、議論に参加する10人の人間は氏名で呼ばれずに「レッド」や「ホワイト」というような色の名前で呼称されるんですが、映画や小説でキャラクターの名前を思い出せない自分には非常にシンプルでスムーズに理解できました。
また、始まる前に登場人物の紹介としてそれぞれのキャラクターの立ち位置が明確にされていたので、多角的に反出生主義を捉えることができました。(自分の性格とキャラクターを結びつけることもできた。)
ここからは本書を読んだ上での最近の憂鬱を語ります。
これは地球上の誰もが一人につき5000回は言っていることだと思うが、人生というものは苦しいし、辛い。
勿論幸せなことも数えきれない程あるが、それは苦しいことや辛いことなどの不幸とはまた別の話だ。
幸せが不幸と同じくらいあったとして、不幸が相殺されるわけではない。
本書では「ハエが浮かんだスープ」と比喩されていた。
不幸があるということは、幸せがあるということよりも強く、重いのだ。
勿論不幸だって原因を取り除けば無くなる。だから皆不幸を無くすことに努めているのだが、その中にはどう頑張っても取り除けない、いわゆる「仕方ない」不幸だってあるだろう。
人間関係やお金、あるいは生まれた地域や時代など…。
親から生まれてきた赤子は、そんな不幸と一生向き合いながら生きていくことになる。
「生きるのが辛いなら勝手に自殺すればいい」と主張する人もいる。だが、自殺の辛さは恐らく我々の想像を絶するだろう。人によっては、普通に生きていて味わう一生分の苦しみより大きくてもおかしくない。
勿論、物理的には死ぬこと自体はとても容易だ。環境によっては30分足らずで死ねるだろう。だが、実際はそうは行かない。目の前にナイフを用意されて「今から自殺してください」と言われたら、どんな人間でも抵抗する。
私も一度小学生の頃に「死んでやろう」と思い包丁を持ったことがあったが、目の前にした「死」はあまりにも悍ましく、それ以来包丁がトラウマになってしまった。
それくらい自殺の苦しみや恐怖というものは大きい。
勿論今すぐに自殺せずとも死は確実にやってくる。病気、怪我、事故etc…。この世に生まれてきてしまったが最後。死がやってくるまでは苦しみを背負って生きていかなければならないし、場合によっては死ぬ瞬間も苦しいかもしれない。
長々と語ってきたが、こんなことを言っていたって生の苦しみから救われるわけではない。せいぜい自分が子供を生むことに対する考え方が変わるか変わらないかだ。ただ生きることが虚しくなるだけなのでここらで終わろうと思う。
おしまい
少し文調が堅苦しくなってしまったのは許してください。敬体で書くとどうしてもまとめサイトっぽくなってしまうんです。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
これを読んでいるあなたが少し暗い気持ちになってしまったかもしれないので、来週は
“友達になりたい野菜5選”でも発表しようかな。