夢を忘れた古い地球人よ

将来の夢を語る前に
HOME MADE 家族

少年ハート
の歌詞を見てほしい
今でも夢を叶えるために聴いているエウレカセブンというアニメの曲である

「将来の夢」の欄に書いた あの頃の俺から何年経った?
現実と理想の狭間揺らいだ 情熱の炎も消えかかった
ちょっと待った!ちょ、ちょっと待った!!
勝負はこれからさ 張った!張った!
諦めた時点でゲームオーバー
現状をこの手で切り開こうか
覚えていますか?昔は確か
かすかな希望に全力を出した
明日のために生きていました
その気持ちどっか忘れてないか?
青春に期限なんてない 探究心に年は関係ないと思うよ
だってそうだろ?
We wanna make the dream come true
つまり...
咲かそう 咲かそう 咲かそう 情熱の花を咲かそう
咲かそう 咲かそう 咲かそう...
「いつかきっときっときっと俺も...」って
ボーっとしてると きっとで終わるぞ
無邪気な勇気ふりしぼって 童心の熱を呼びおこせ
少年から青年 to the 中年 未だ目下 何かに夢中で
輝いている方がそう、格好いいじゃん
like challengerだYEAH!!
「子供から大人はどっから?」なんて考えてる
俺どっちだ??
いつからか社会の殻の中
閉じ籠って小さくまとまってないか?
鏡の中のお前に問う
「まだまだこんなもんじゃないだろう」
夢の形は変化していても 輝けるはずなのさ いつでも
探そう 探そう 探そう 夢のかけらを探そう
探そう 探そう 探そう

将来の夢をはじめて書いたのはおそらく
七夕
だと思う
家族がアルバムに残している七夕の写真と短冊にはこう書いてあった

アンパンマンになりたい

好きなアニメヒーローやヒロインに憧れることはきっと一度通る道だが、仮面ライダーや戦隊ヒーローになれるのは一握りだし、アニメのような出来事はなかなか起きない

しかし、私はアンパンマンになれた

私が勤めるJAの共済部門のイメージキャラクターはアンパンマンだったりする
アンパンマンのこども共済
CMを一度は目にしたことがあるかもしれない

共済部門のお仕事をしていた時、アンパンマンになれる仕事があった
所謂、着ぐるみに入る仕事である

七夕に書いて25年余り
アンパンマンになれる
と聞いて、上司にやりたいとすぐに申し出た
着ぐるみは暑くてしんどいから、あまりやりたがらない仕事らしく、ライバルはおらず、1日中すきあらばアンパンマンになった
※他のヒーローが出ている時間は同じ時間軸に存在してはいけないので、アンパンマンにはなれない

そして、恐らく人生最大のモテ期を体験した

凄い勢いで駆け寄られ、熱烈なハグ
ひたすら浴びる写真のフラッシュ
社会人になって1番幸せな仕事だった

JAを志望するにあたり、私は面接の時に1つの目標を語った
大学時代、毎日のようにmixiを更新し、FacebookとTwitterを使っていたので
インターネットを使って、農業を広める仕事をしたい

私は大学時代、宮崎県に住み、東国原英夫さんが知事の時期で、それはそれは活気があった
知名度最下位の宮崎が東国原英夫さんが知事になり、一気に有名になった
暖かくて海が綺麗でごはんも美味しい
テレビで見るたびに、行ってみたい食べてみたいと思った人も多いだろう
ただし、私が宮崎県に住んだ4年間は大変な時期でもあった
鳥インフルエンザ、口蹄疫、火山の噴火
観光業も農業も大打撃をうけた
しかし、東国原英夫さんをはじめ、県市町村で復興した時期でもあった

大学の卒業式の後の懇親会で7年後のビデオレターを1人ずつ撮影した

大学のホームカミングデーに四国香川から片道電車で7時間かけて7年ぶりに大学に行った
7年前と変わらない暖かくてごはんの美味しいところだった
懇親会のビデオレターは覚えていたが、一緒に書いた出席カードの裏のお手紙の存在をすっかり忘れていて、お手紙を見た時に一気に夢を思い出した

頭の片隅にJAでやりたいことを置いてはいたが、日常業務に追われて、なかなか進められずにいた

それでも私は
農業を広める仕事をする
というぼんやりした夢から
香川の小麦を知ってもらう映画を作る
という形が少しずつ見えてきた

きっかけは香川でさぬき映画祭を知り、映画文化に触れ、さぬき映画祭が主催するシナリオ講座、映像塾で映画作りを学んだことだ

高校は空手道、大学は少林寺拳法をしていたので、
アクション映画
が好きだが、空手道と少林寺拳法で寸止めや投げ技を体験したこともあり、
偽物の作り物のアクション
ではない
本物のアクション
をしたい、と考えるようになった

中でも少林寺拳法は香川発祥の武道で、はじめて技をかけられた時の衝撃、技をかけれるようになった時の感動が忘れられない

香川の農業と香川の少林寺拳法を掛け合わせた香川をPRした映画を作りたい
就職活動の時、大学卒業の時、語った夢が具体的になってきた

それから四国新聞で見つけたコンペに軽い気持ちで応募して、最終選考に残り、香川大学の先生にプレゼンのノウハウを教わり、ど緊張の中で1人でステージに立ち、持ち時間内一生懸命に語った

人前でプレゼンをする経験ははじめてで、めちゃくちゃ緊張したけど、めちゃくちゃ楽しかった

大人になって、夢を語る機会はだんだんと減ってくる
そして、夢を語ることが恥ずかしくもなってくる

結果は審査員特別賞、夢を語るってめちゃくちゃ気持ち良かった

それから私は夢を語って、あちこちの企業や市町村に企画を持ち込んでいる
その中の一つにZOZOの前澤友作さんのTwitterで、100人に100万円を配る平成最後のお年玉企画がある

100人のうちの1人に選ばれて、私の夢や目標に投資をしてくださる人ができた
いい意味で、もう後には引けなくなってしまった

2019年は仕事に追われ、なかなか企業や市町村に企画書を持ち込めなかったが、仕事のノルマを早々にこなして、自由になった2020年の1月から3月にJAと少林寺拳法の総本山などに企画書を持ち込んでみた

内容が大雑把で、出直すことになった矢先のコロナウィルスで、なかなか企画書も持ち込めないし、映画作りができないし、あまり上手に前に進めていないけど
夢をもつことは普通に仕事だけするより、遊ぶだけより、かなりしんどいけど
めちゃくちゃやりがいのある楽しいことだと思う


七夕の願い事も卒業式の将来の自分への手紙も不可能なんてない

涼宮ハルヒの憂鬱
をみて
映画を作りたい
と思った

七夕ラプソディ
というエピソードで
アルタイル、ベガまで16光年と25光年離れているから、16年後25年後の夢を書く
という内容だった

私が涼宮ハルヒの憂鬱をはじめて観てから間も無く16年
彦星様が願い事を叶えてくれることを信じている

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