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『俺のベトナム戦記 第1回(第7稿)』

 いやいや、ちょっと待ってくださいよ~パート3。いや、再々追加(銅メダル)なんかじゃなくて、パート2こと再追加(銀メダル)か。

 は~い、というわけで、2014年5月30日(金)4時17分の再追加だよ。俗にいう、緑ボタン事件が勃発した『俺のベトナム戦記 第1回(第6稿)』(『水曜スペシャルノンフィクションどうでしょう 第1回(第6稿)』改題)のケツにまた出直すつもりだったのですが、なんかちょっとアレみたいですし、せっかく緑ボタン事件のリカバリーがようやく済んだので、心機一転してこの『俺のベトナム戦記 第1回(第7稿)』にお引越して、また出直してみました!

 緑ボタン事件とは「2014年5月28日(水)の23時55分にとりあえず『俺のベトナム戦記 第1回(第6稿)』(『水曜スペシャルノンフィクションどうでしょう 第1回(第6稿)』改題)を一旦アップした後、5月29日(木)の4時過ぎくらいまでシコシコと4時間くらい書いて、小一時間の仮眠を挟んで見直してからアップしようと、同日5時30分に予定通りに起きた俺が寝ぼけたまま、noteに「編集中のノートがあります。破棄して新しく編集して構いませんか?」って言われて、ボーっとしながら何となく緑色の「破棄して新しく編集」ボタンを押しちゃったせいで、追加で4時間書いた分が全部吹っ飛んで消えてなくなる」って言うハイテク事件簿のこと。

 早いもので、己がナチュラルボーン戦場特派員と気づいてから、もう四半世紀。生まれつき戦場特派員体質であったが、こまめに戦場特派員カスタマイズをコツコツと重ねて、今や戦場特派員サイボーグと化した。

 戦場特派員カスタマイズの一環として、戦場取材中にはナニが起こるか分からぬゆえ、例えどんなことが起ころうとも驚かず騒がず冷静に対処できるように、日常生活でナニが起こっても動じないように長年心がけてきた。

 もう今じゃナニがあっても心が一糸乱れることなく、「え、やっだ~、困っちゃう」って騒いでみせる余裕まである。

 でもねえ、その戦場特派員カスタマイズは如何せんアナログ対応のみで、デジタル対応はしてないんですよ。だからもハイテク関係、特にパソコンで緑ボタン事件なんかが勃発すると、ただただ呆然とひたすら固まって、とても「いやん」とか言う余裕なんてゼロですから、戦場取材中なら死んでるよ! そして、その後死んだように、マジでマジメにヘコむわけですよ。

 コレがまだ手書き原稿なら、破れたらセロテープで直せばいいし、風で飛ばされたら「待て~」と追っかければいいし、燃えたら「燃えたよ、燃え尽きた、真っ白な灰にな…」って言えばいいしってアナログ対応で簡単に乗り越えられる。でも、今から原稿用紙買いに行くの面倒臭いし、原稿用紙じゃココにアップできない。

 パソコンで原稿を書き始めたのは2002年の5月だから(ちなみに、初めて自分のパソコンを買ったのは2004年の2月)、この12年間で、いくつもの原稿がWEB大海の藻屑と消えていった。

 もう定例行事みたいなもんで、最近だとザッと年平均4本の原稿が消えちゃう感じだ。今年は5月の時点で、前回の追加原稿と川有原稿の2本が既に消えた。そうか、今年は後2本の原稿がどっかいっちゃうのか、はぁ~。

 しかも渾身の原稿に限って、跡形もなく消える。もちろん消えたからこそ、「サイコーの原稿だったのに…」と思うわけですけどね。

 ま、再追加(銀メダリスト)ともなると、前置きも短くなるってもんです。追加(金メダリスト)のときなんて、前置きだけで終わったもんですよ。

 さっそく前回の本題の続きです。簡単にまとめると、中2で「自分がナチュラルボーン戦場特派員だった」と気づいた俺は、長期計画として「早稲田大学を中退して、フリーのナチュラルボーン戦場特派員になる」、短期計画として「う~ん、じゃあ、とりあえず高校は普通科に行けばいいかな」を立てたところの続きのはじまりはじまり。

 ちなみに、中2で自分がナチュラルボーン戦場特派員と気づく前は、「将来の夢(苦笑)」、「やりたいこと(失笑)」というタイプの中2病丸出しな感じでしたので、「女子供じゃあるまい、男が高校なんかに行けるか」くらいが唯一の未来予想図でした。

 でも、ナチュラルボーン戦場特派員になったので、とりあえず普通科の高校に行かなければいけないことに。

 幸い図書委員だったので、基本読書の延長で、自分で教科書読んで、勝手に問題解いたりするのは特に苦でもなかった。小学校の頃は、近所の新聞屋のおばさんがやってる公文式にも行ってたし。後、みんなが勉強嫌いだから、「俺は勉強好きだぜ」みたいな部分もありつつ。 まあ、授業態度とかはアレでしたけどね、反抗期の中坊だから。

 ただ短期計画にはひとつ問題があった。英語である。中1のとき、自分の名前もアルファベットで書けないのを親に見つかり、近所の英語塾に行かされた。でも、超適当な先生だったので、塾をサボって本屋でエロ本を物色する夜の課外授業をしてても全然問題ナッシング! たまに顔を出した英語塾でも学校の英語の授業でも英語ボイコットを続けていた。

 英語ボイコット理由について話し出すと、いつもよりクソ長くなるので手短にまとめるが、英語が世界共通語と呼ばれるようになった背景を考えると、いくら英語を学べばオコボレを貰える可能性が増えるからって、そんなコジキみてえなマネができるかと、図書室で借りたエスペラント語の勉強とかしちゃう面倒臭くて嫌な図書委員だったので、後はお察しください。

 しかし、ナチュラルボーン戦場特派員になっちゃったので、ちょっと大人になってワリキリで、英語の勉強も嫌々し始めたわけです。世間ではコレをナチュラルボーン戦場特派員勉強法と呼びます。もしくは、呼びません。

 短期計画の「う~ん、じゃあ、とりあえず高校は普通科に行けばいいかな」の準備は英語の勉強を始めて済んだので、後は相変わらずベトナム戦争の戦場特派員本を繰り返し読んでいたわけです。

 もちろん中坊時代は、俺はナチュラルボーン戦場特派員と気づいたばかりで、実は生まれつきベトナム戦争の戦場特派員とは全然気づいていませんでした。今思えば、気づくキッカケはいろいろありましたが。

 ベトナム戦争以外にも戦記モノなら何でもおもしろいだろうと、アフガニスタンや中近東のイラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフリカ大陸各地で勃発していたいろんな内戦、南米のエルサルバドル内戦などなどの戦場特派員本も一通り読んだが、どれもイマイチどころか全然ピンと来なかった。

 結局、ベトナム戦争モノばかり、学校の図書室だけじゃ飽きたらず、県立図書館や市立図書館に行ったりして、それこそベトナム戦争当時の新聞の縮小版にまで手を出して、繰り返し読んだりしていた。

 その際、ベトナム戦争の写真集も当然いくつも見たが、不思議と戦場カメラマンになりたいとは微塵も思わなかった。自然と戦場特派員になって文章を書く人になるもんだと信じ込んでいた。

 今でもベトナム戦争の戦場特派員の文章を読むと、カッコよくて、死ぬほど羨ましくて、もうくやしくってくやしくって、ああ、もう、ヘイ、タイムマシーン!

 そうです、『戦国自衛隊』よろしく、「もし世が世なら、この俺様は●●だったのに」って奴ですよ、「もし戦国時代に生まれていたら、名武将として天下統一してたのに…」、「もし幕末に生きていたら、明治維新の立役者になっていたのに…」なんてのと同系統の中2病です。

 そういう痛い連中と痛い俺のちょっとした違いは、それこそ、「戦国時代に行けるなら武将じゃなくて、足軽ですぐ殺されてもいい」、「幕末の空気さえ吸えれば、その他大勢の斬られ役でもいい」ってノリで、「ベトナムの戦場に行けるならば、怖くてすぐ逃げ出す腰抜け戦場特派員でも何でもいいから、とにかくベトナム戦争に行きたいの! とっとと行かせろ! 早く、タイムマシーンよ、理系のバカヤロー!」ってくらいしかない。

 そりゃ、戦場童貞だもん戦場はもちろん怖いけど、それ以上にベトナム戦争に行けると思うだけでこう胸が甘く高鳴るんだよ。オナニー原稿みたいに「消えた原稿はどう書いたっけ? こんな感じだったかしらん」って無難に置きにいく必要もないもん。ホンバン原稿になんの遠慮がいる!


「いって~~~、超痛てえのな、鉄砲玉にオカマを掘られると。コッチは親切にワ~イって両手あげて逃げてるのに、後からババババ~ンって。でもやっぱ逃げるときは背中向けてに限るね。だって腹向けて逃げたら、鉄砲玉が金タマタマに当たるじゃん。これ豆な、玉だけど。

 もうチョベリバだった戦場はサイゴンの南、メコンデルタ地帯のカントー近くの村。南ベトナム政府軍第7歩兵師団の作戦に最初はおっかなびっくり従軍して、特に何も起こらず、もう暑くて暑くて、段々ダレてきた頃合いに、ある村に入ったと思いねえ。『ムッシユムラムラ、村だけに』なんてブラブラ歩いていたら、突然パーンって乾いた銃声が。

 ええとこういうときは頭隠して尻隠さずだっけと物陰に飛び込んで、もうガクブルですよ。『もう帰りたい』なんてつぶやきながら、とりまチラリと戦況をチェケラですよ」


 言っとくけど俺はこういうの書くよ、ホンバン原稿で書かないでか。ハッキリ言ってもう俺の独壇場ね。本気で好きなズリネタじゃオナニーできないなんてクソ甘え腐ったこと言う必要もない。本気で好きなズリネタと生ホンバンできんだ、ナニをためらうことがあるんだい。

 ある晩、サイゴンのバーあたりで売春婦相手に、片言のベトナム語で「おちり痛いよ~。俺はケツの穴を二つ持つ男だぜ、どっちがアナルで、どっちがアヌスか知りたくないかい、バオ・ニュー?」って値段交渉やってたら、例の記事を読んだ熱血の先輩戦場特派員あたりが現れるわけよ。

 いきなり胸倉をつかまれて、「貴様、どこの世界に『いってえ~』で原稿書き出す戦場特派員がいるんだ、ふざけんなよ」ってお説教タイムが始まります。

「いや、最初は『ケツいってえ~~~』にしようか迷ったんですが、ケツはちょっと下品かなあって」とニヤニヤしてたら、「は、歯をくいしばれ!」って鉄拳制裁ですよ。「カム・オン!」って言いながら、内心は「次の原稿の書き出しネタ、ゲット!」ってニンマリですよ。


「超いってえ~~~、あのクソ野郎のゲンコツ、鉄砲玉より痛てえのな、バ~カ~! さ、ほとぼりさめるまでサイゴンには帰らないぜよ。冒頭私信は以上です。

 はいっ、というわけで俺は今日、ベトナム中部、ビンディン省はボンソン渓谷でアメ公の、って書いちゃいけないんだっけ、米軍様々の第一騎兵師団に従軍取材すべく、これまたベトナム中部最大の都市ダナンの売春窟に昨晩シケこんで、前夜祭をしたんだけどさあ。ねえねえ、ちょっと聞いてくれる。なんかさあ、おちんちんの先っちょがすごく痛いんだけど、こんな膿が出てるちんちんで従軍しても大丈夫かなあ。衛生兵に『おちんちん、もうこんなになってるじゃん』とか言われたらどうしよう。よし、なら行こう!」


 もうアイツ、ホンバン原稿もオナニー原稿同様、前置きが長くて下品とベトナム中の噂になったりしてね。してやったりですよ。もう死んだって構わない。

 ああ、タイムマシーンまだかなあ、クソ遅っせえなあ。もう俺はとっくに準備万端なんだけど。いつでも全開でいけるぜ。

 まあ、きっとタイムマシーンなんて来ねえから、タイムマシーン代わりの筆力で、なんとかベトナム戦争の戦場特派員になれる方法はないかとひたすら考えて、やってきているわけですよ。もう寝る。


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