いや、生きたいよ?
本音であり、大ウソ。
私が生きた19年間を思いのままに書き記す。
乱文に魂を込める。
大学受験を控えた2023年12月、親が経営していた会社が倒産した。家が無くなった。片親になった。直感で母について行った。
と同時に、家庭の負債が20億円を超えた。
両親の自己破産を経ても状況は変わらなかった。
金銭感覚が明後日の方向に狂いだす。
借金総額は定かではないが、学費はおろか、大学受験の費用が賄えないことは明らか。
私はこの時点でシャーペンを置き、参考書を閉じて大学進学を諦めた。
やるせなさは勿論あった。
ただ、ゲーム機や家電が家に無さすぎた為、何となく察していた。
だからこそ、大学にさえ行けば…!と淡い希望を抱いていた。淡い希望だった。
他に夢や目標はなかった。
部活には入らず、バイト漬けの日々。
基本バイト禁止の高校だったが、生活が苦しかったため、先生方に頼み込んでバイトさせてもらった。
このことは先生方と私との秘密だった。
103万円の壁に引っかからず、
3年で300万円近く稼いだはず。
そのほとんどを、自分の口座にぶち込んだ。
とりあえずそれで糊口をしのいだ。
真っ直ぐな自慢だが、当時の私は、給付型奨学金の受給を取り付けた上で中堅理系国公立大までなら確実に合格できるラインまで学力を上げていた。
偉い。結局意味を成さなかったのだが。
と、まあ災難と言えば災難な生活だったが、
私にも責められるべき点がある。
姉が京大生な点である。
私は2人姉弟の弟。いわゆる出来損ない。
と言うより、努力不足と言うべきか。
姉は私と同じ環境で、私と同じ理系を選択し、
京都大学に現役合格した。
姉の奨学金は日本で数人しか貰えない給付型で、学費や生活費を払った上で毎年約50万円貯金ができる程らしい。
私が受給予定だった奨学金はせいぜい学費が賄える程度。どちらもありがたいことだが、待遇でいえば天と地の差である。
親の会社倒産のタイミングが噛み合ったとはいえ、言い訳はできない。
格好がつかないから、
他責思考にだけはならないと肝に銘じた。
幼少期から、姉の絞りカスと親戚に罵られ続けたが、心から尊敬する優秀な姉の存在により、かろうじてやってこれた。
小学校〜高校まで、ゲーム機やスマホ無しでも、赤面しながらのりきった。
ご飯が一日一食で肉や野菜なしでも、
バイトのまかないで生きていけると信じた。
服や靴がボロくても、
いつかは好転すると自分に言い聞かせ続けた。
2024年3月27日、周りの友達が受験の合否を受けて一喜一憂する中、姉から電話が届いた。
私からはとてもじゃないが連絡出来なかったから、嬉しかった。
受話器を取る。
姉の声が聞こえる。
聞いた事のない声のトーンに驚く。
姉の声を聞く。
『お前、大学行かないらしいな。
どんだけサボってきたん?
バイトも勉強もしないで、
生きてる意味ある?
あんまり
お母さんに
迷惑かけんなよ。』
ー電話が切れたー
死にたかった。
受話器の先に、尊敬した姉はいない。
素直にそう感じた。
姉を失望させちゃったのかな。
バイト頑張ったのにな。
思い返せば、
姉には高校からスマホが与えられてた。
姉には部屋が与えられていた。
姉にはおもちゃが与えられていた。
姉には肉や野菜が与えられていた。
姉はバイトをしていなかった。
多分、両親には産まれた時点で相当な差がついているように見えたのだろう。
私は、忌み子に近い存在だったのだろう。
いや、
待てよ、
「……私ってある意味特別じゃね?」
自然と逆張っていた。おそらく自己防衛。
俗に言うあまのじゃく。
逆に私ここまで生きてるのかっこよくない?
死にたい?いや、生きたいよ?普通に。
それ以来、大抵のことを逆張った。
多分良くない。虚構ではあるし。
だけど、なんだか救われた。
順風満帆な人生は素晴らしいが、
特異点を体現した人生もまた素晴らしい。
そう全力で思い込んだ。
プラセボは偽薬だが良薬だ。
しっかり飲み込んだ。苦味を感じながら。
以来、行動に自信が持てた。
私の人生は素晴らしいに違いないという強固な地盤が、確かに形成された。
沢山のことに果敢に挑戦した。
私は現在、地元、親元を離れて一人暮らしをしながら、自宅で出来る編集の仕事をこなしている。
非常に調子が良い。
生きたいと強く願うようになってから好転した人生。まだ成人もしていない半端者。
郷土愛はあるし、両親への感謝の気持ちも忘れてはいない。
プラセボの効果が効いてきたのだろう。
初めて買ったスマホやパソコンは、なんでも出来すぎて怖かった。
初めて撮った写真は、西に沈む煌びやかな夕日だった。
初めてプレイしたゲームは、マインスイーパーだった。
アナログだったら簡単にリセットは出来ないなぁと、感心した。
友人に電話で家庭の事情を少し打ち明けてみた。
その翌日、友人に誘われて横浜市にある友人宅まで出向き、一緒に大乱闘スマッシュブラザーズという名のゲームで遊んだ。
小学生のドッジボールくらい白熱した。
自然と涙が溢れた。
ゲーム中、隣の奴が急に泣き出したんだ。めちゃキモかっただろう、すまんな友人。楽しすぎたよ。ありがとな。
逆張りマインドを身に纏ったあの日からだ。
井の中のミジンコだった私は、大海を知った。
時折、周囲の人間とのギャップを猛烈に感じた時、死にたいと思う。未だに。
そんな時はすぐさま逆張る。
いや、生きたいよ?
もはや、この感情が嘘か誠かなどどうでもいい。
魂の叫びであることに違いはないのだから。
《再来年の成人式の日、地元に帰ってみたい。》
これが今の私の夢。
壮大な夢を掲げる方々からすればちっぽけに思われるかもしれないが、
私にとって目標ではなく、夢ぐらい現実から距離が離れたもの。
並びに、今、全力でかなえたいこと。
行かない方がいい気もする。
再来年まで同じマインドを持ち続けられる保証がどこにもない上に、
私が落ちぶれていく姿をリアルタイムで見ていた高校の同級生と自ずと会うことになるし。
親の会社倒産の記事を読んだであろう小学、中学の同級生とも会うことになる。
私にテストのたびに点数勝負を挑んできたあいつや、こんな自分を好いてくれたあの子とも会うことになる。
正直気まずい。
でもいい。
だって、みんなの大学合格を改めて祝いたいし、大学や職場先のこととか聞きたいんだもん。
いや、
逆に私の話を聞いてもらおうかな?