高校が文京区にあり、浦和から電車で通った。浦和駅から京浜東北線に乗り込むときには、すでにドア付近にしかスペースがなく、各駅停車で乗客は増し、川口駅くらいからは背後の客の降車のため、一駅ごとに一旦ホームに出なければならないのだが、降りた電車に乗り込めないこともしばしばあった。
大学は西側にあった。赤羽で埼京線に乗り換えるのだが、京浜東北線を上回る混雑だった。さすがに一度きりだが、すし詰めが極まり、両足が床に着かない、つまり浮いた状態のまま一駅間を過ごしたのは、ラッシュには慣れたつもりでいても衝撃的な体験だった。余談だが、その日は母がくれたMoMAデザインの、こまの内側に青空が描かれた傘をはじめて下ろした日で、大学の駅に着いて傘を開いたら木製のはじきが見事に真ん中から割れていた。
高校が僕と同じ駅にあった兄が大学受験のとき、「受験勉強という戦いにおいて、例えば隣家から通う学生と比べ、片道1時間半、1日で3時間のハンデを既に負っている」と口にした。眠ることも、本すら開くことができず、ただ苦痛と不快に耐えるだけの時間の積み重ねほど人生にとっての無駄はない、とその言葉を聞いて考えたことを良く覚えている。
JR東日本がコロナ禍で減った乗客への経営対策で通勤時間を含め、運行本数を減らすのだという。乗車率とは何のための数字なのか。時代が変わったとはいえ、通勤、通学の苦労が劇的に改善したわけではないであろう。
潤っているときは、人の命を守るホームドアの設置には金を回さず、一方で地域の商圏の客を横から奪う駅ナカの拡大、拡充に心血を注ぐ。
Sustainabilityを謳うよりもまず、今生きている人間の安定と幸福に目を向けてくれ。