かわいそう #29ココロとコトバ
大切にするのは、
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある、『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと
……………
今回お話をしてくださったのは、悪性リンパ腫を経験された「わたし」さん。
当時、35歳だった「わたし」の『ココロとコトバ』をご紹介します。
Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか?(その1)
誰が言った?
看護師さん
実際の言葉
「頑張りましたね」
入院中は、まさに治療に臨んでいる瞬間。
抗がん剤が身体のなかに入るということが、これほどにツラいものだとは思いませんでした。
吐き気など、さまざまな副作用に苛まれ、食欲も湧きません。
しかし、少しでも早く体力を取り戻すため、食べられる範囲で頑張ってご飯を食べていました。
ご飯の時間がおわると、看護師さんがお膳をさげてくださいます。
そのとき、食事量をチェックされるのですが、ご飯の減り具合を確認したあと、優しい一言をもらいました。
大人になってから褒められる機会って、本当に稀ではないでしょうか?
看護師さんに思いがけず優しいコトバをかけられたとき、ほんの些細な頑張りを認めてもらった気がしました。とても、うれしかったです。
もし今後、機会があれば、わたしも「誰かの些細な頑張りに気づき、称えることのできる人になりたい」と思いました。
Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか?(その2)
誰が言った?
看護師さん
実際の言葉
「寿命を迎えるまで何も病気にならずに過ごせる人は少なくて、人間生きてるとなんかしらの病気にかかるんですよ。今、病気になったのはそれが少し早かっただけ。」
こちらも入院中のエピソードです。
検温か点滴のセッティングのとき、何気なくしていた雑談でのコトバだったと思います。
この時期は、病気になった事実をうまく受け入れられていないときでした。
「なんでこんな病気になっちゃったかなぁ」と悲観していた頃、このコトバが耳にスッと入ってきたんです。
言われてみて客観的に考えると、たしかに、今まで「健康」に対して深く考えていなかったです。
健康なときって、健康に気をつけて生活をしなくちゃ。としっかり考える人ってそこまで多くないはず。
なので、「がん」にならなかったとしても、いつか別の病気になっていたかもしれません。
病気になるのは特別なことじゃない。
治療の選択肢が幅広くある年齢で病気が見つかったのは、不幸中の幸い?とも思えるようになりました。
病気になったという事実を、ある程度前向きに受け止めれられるキッカケになったコトバでしたね。
Q.あなたが言われて傷ついた、言われたらショックだったと思う言葉はありますか?(その1)
誰が言った?
隣のベッドの患者さん
実際の言葉
「かわいそう」
わたしが入院をしていた頃は、コロナ禍の前でした。
そのため、面会は制限なくおこなえ、各患者さんのご家族やお友達がお見舞いに訪れます。
このコトバを発した方は、4人部屋で初めてお隣になった患者さんです。
お隣さんの年齢は母より少し高め。おしゃべりで可愛らしいおばさまです。
毎日、旦那さんが面会に来られていました。
その日も旦那さんが訪れ、2人で会話を楽しまれています。
カーテン越しに会話が聞こえ、そのとき耳に飛び込んできたのが「隣の人すごく若い人やったわ。かわいそう。」というコトバでした。
「そうか、私、かわいそうなのか・・・」
ココロにズシっときました。ヘコみましたね。
治療当初と比べると、体調がかなり回復してきていたこともあり、明るくふるまえるようになっていました。
でも、そんなことは抜きにして、“かわいそう“と同情の目で見られている事実がショックだった。
「おばちゃん聞こえてるで!」って明るく返せれば良かったのですが…。
いまだからこそ浮かぶ発想なのかもしれませんね。
「かわいそう」を他人から自分に向けられることは、結構キツいんだな、と初めて感じました。
Q.あなたが言われて傷ついた、言われたらショックだったと思う言葉はありますか?(その2)
誰が言った?
夫、母
実際の言葉
「しゃーない」
夫と母は、わたしが入院しているとき忙しいにもかかわらず、面会に来てくれていました。
本当にありがたかったです。
そんな2人の前で、わたしは少し弱音をこぼしてしまうこともありました。
すると、2人がわたしに返すコトバは、毎回「しゃーない」でした。
病気になってしまった事実は、たしかに仕方のないことです。
でも、ココロが本当にツラくて、耐えきれずにこぼしてしまった弱音を、「しゃーない」の一言で一蹴されてしまうのは悲しかった。
当時は「しゃーないってなんやねん!」と内心プリプリと怒っていました。
2人の立場からすると、「弱音吐かれても困る…。」という感じだったのかもしれません。
2人は気の利いたコトバがかけられないから「しゃーない」と言ったのかもしれない。
でも、わたしはうまいコトバが欲しかったわけじゃない。
ただ、「うん、うん」って相槌をうってくれるだけでも、救われたと思います。
本当に。それだけでも、よかったんです。
Q.あなたが言ってしまって後悔した言葉はありますか?
誰に言った?
夫
実際の言葉
「別にもう来なくてもいいよ」
わたしが入院したとき、夫は頻繁に会いに来てくれていました。
ただ、普段の忙しい生活をしながらの面会となると、体力的にキツいものがあったと思います。
入院期間の後半になってくると、こちらに向けてに発するコトバが荒くなることもありました。
疲れているコトは、よくわかります。でも、だからといってイライラをぶつけられても、どうしようもできません。
お互いストレスを感じるぐらいなら、とこのコトバを言いました。
独り身で入院されている方もたくさんいます。
なので、そこまで頻繁に面会をしてくれなくてもいい。1人でもどうにかなるだろうと思って伝えたコトバでした。
しかし夫は、突き放されたように感じたみたいです。
かなりショックだったみたいで…、もう少しコトバを選べばよかったなと思いました。
もちろん、夫には感謝しています。
「来なくていいよ」は来ないでほしい、じゃなくて、負担になりたくないからの意味でした。
病気になるとどうしても負担ばかりかけてしまっていましたからね。
お互い相手のためを想っていたはずなのに、うまく噛み合っていなかったんでしょうね。
申し訳なかったです。
………
今回の「わたし」さんは、ココロを支えてくれた芸術についてもお話ししてくださいました。
ぜひ、ご覧ください。
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