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#0 ココロとコトバ わたしの場合

はじめまして。元がん患者です。


これから、わたしと同じようにがん闘病を経験された方、そして闘病を支えた方たちに『ココロとコトバ』についてお話を伺いたいと考えています。

大切にするのは、
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある、『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと


初回となるこのページでは、自己紹介をかねて『ココロとコトバ』わたしの場合。をお話しさせてください。

〜カンタンな記録〜

24歳で乳がんになりました。


手術後、病理検査によりリンパ節へのがん細胞転移が発覚。ステージⅡの診断を受けます。


病院から紹介してもらった不妊治療クリニックで卵子凍結をして、抗がん剤治療を開始。


抗がん剤治療が終わったのち、放射線治療を受けました。


現在は、ホルモン治療を受けながら、日常生活を送っています。



Q.あなたが言われて救われた(嬉しかった)、または自分にかけてあげたい言葉はありますか?


言った人 
友人

実際に言われた言葉 
「死なないで」

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エピソード

抗がん剤治療が始まる前に、大切な友人に病気の報告をしました。

《脳内シミュレーション》は、いざとなると全部吹っ飛んで、笑っておどけながら話したんです。

「人生初の入院と手術経験しちゃった!ガンになっちゃったんだけど、治療したら治るって!現代医学やばいよね!」って。

ものすごく滑稽だったと思います。

でも、友人は、一瞬目を見開いただけで、おどけたわたしに合わせて笑ってくれました。


病気の報告を終えたあとのおしゃべりは、久々に味わった当たり前だったはずの日常で、とても楽しかったです。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば夕方でした。


家路に着くため2人並んで電車を待つ駅のホーム。
ふと友人の様子を伺うと、口を開けては閉じを繰り返しています。

友人は何度も躊躇したあと、意を決したようにこちらをまっすぐ見つめ、ただ一言発しました。

「死なないで」

隣にいても、周りの音に掻き消されてしまいそうな大きさでポツリと呟いたあと、ポロポロ泣き始めました。


どう思った?

友人は普段、周りに対する気遣いがあり、相手の心を大切にする言葉選びをする子です。

そんな友人が、ここまで強い言葉でストレートに「死ぬな」と伝えてきたことに胸が締めつけられました。

身体の奥から力が湧いてきて、この子を泣かせちゃダメだ。絶対に乗り越えなくちゃ。と思えました。


Q.あなたが言われて傷ついた、
言われたらショックだったと思う言葉はありますか?


言った人

実際に言われた言葉
「私が悪かったんやろうね」

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エピソード

告知を受けた日の夕方、母に報告するため実家を訪れました。
なかなか切り出せず、報告をはじめたのは22時を過ぎた頃。

「乳がんだったって。けど、24歳で自主的に検査受ける人は少ないから、取り返しがつかないようなケースも考えられた。早期発見できてよかった。って言われたよ。」

母の目を見れなかったです。
緑茶が入った湯呑みを、親指で擦るようにいじりながら伝えました。

母は、報告を噛み締めるように黙ったあと、「そう、なってしまったもんはしょうがない。」と返事をして、キッチンの換気扇下へ向かいます。

いつものように、タバコに火をつけて煙を吸い込みました。

そして、煙を吐き出す空気の流れに合わせて「私が悪かったんやろうね」と呟いたのです。

その瞬間、心臓が捻りあげられたような感覚を覚えました。


どう思った?


わたしの家系は、父が41歳、祖母が50歳で他界しています。
そのため、幼い頃から母が看病のため苦労している姿を見ていました。
なので、告知を受けたとき湧き上がったのは、(あぁ、わたしまで母に迷惑をかけてしまう。終わったな。)という感情です。

そのため、この言葉を言われた瞬間、母にネガティブな思いを抱かせてしまったことへの罪悪感を抱きました。
同時に、わたし自身が激しく責められているような息苦しさを感じました。

まるで、取り返しのつかない罪を犯した気がして、早く母の目の前から消えたい。自分の存在自体がなくなればいいのに。と考えていました。



Q.あなたが言われて傷ついた、
言われたらショックだったと思う言葉はありますか?(その2)


言った人

実際に言われた言葉
「いつまでも落ち込んだってしょうがないよ」

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エピソード

手術後、体調は安定していたけれど、退院するまで1ヶ月くらい時間かかりました。

入院中なんて、リハビリ以外で特にやることがない。そうすると、1人で色々なことを考え込む時間が増えたんです。

病気になったこと、見た目が変わったこと、ガン細胞がリンパ節にも転移していたこと、リンパ浮腫になってしまったこと、抗がん剤治療が必要なこと、、、。

目の前に積み重なる問題に対して、頭の中はぐちゃぐちゃでした。

元気がないわたしを、母は元気づけたかったのかもしれません。

「いつまでも落ち込んだってしょうがないでしょ?」と言われました。


どう思った?

告知を受け、病状が明らかになるたび、わたし以上に、周りの人たちが大きく悲しんだり怒ったり、感情の表出をしました。

周りが激しく感情を出すたび、わたしは平気なふりをして、「大丈夫だって〜」と笑う立場に回ることしかできなかったです。

だから、わたしがわたしの心に寄り添って、素直に落ち込めるようになるまで、かなり時間がかかりました。
(期間で言うと、告知を受けて手術が終わるまでの約2ヶ月かかった)

やっと自分と向き合い、病気を受け止め始めたときのこの言葉を言われて、とてつもなくむなしかったです。


Q.あなたが言ってしまって後悔した言葉はありますか?


誰に対して言った

どんな言葉を言ってしまった?
「家族にだって私の気持ちはわからないよね」

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エピソード

手術後、主治医から術後の病状報告を受けました。

リンパ節への転移があったこと。
抗がん剤治療が必要になったこと。
今後の治療で、卵巣が大きなダメージを受けるため、将来妊娠できないかもしれないこと。
若年性がんは症例が少ないから、可能であれば治験参加も考えておいてほしいこと。

たくさんの事実に、心と頭が追いつかない状態で病室に戻ると、続けて待っていたのは、看護師さんからリンパ浮腫の説明です。

主治医からの話で、メンタルギリギリなのに、左腕の変化から目を逸らせなくなり、さらに追い詰められました。

取り繕った笑顔で聞いていた説明が終わる頃、母がお見舞いに来てくれました。

わたしがショックを受けていることを察して、いつも以上に明るく振る舞ってくれたんです。

そんな母に対して、
「家族にだって私の気持ちはわからない」と言い放ちました。

母は私を責めず、笑顔で「少しコンビニ行ってくるねー」と病室から出て行ったのです。

でも、帰ってきたとき、ほんの少し目元が赤くて、潤んでいるように見えました。


どう思った?


とにかく1人になる時間がほしかったです。
そのくせ、母にはっきり「1人にして」と伝えることができませんでした。

明るく元気づけようとしてくれている母に対して、自分勝手にイライラして、無性に傷つけたい衝動にかられたんです。

言葉にする直前も、言葉として発している瞬間も頭の中で、《コレは絶対にダメなセリフだ》と、けたたましい警告音が鳴り響いていました。

でも、言ってしまいました。

母のショックを受けた顔は、一生忘れられないです。
今でも後悔しているし、死ぬまで後悔すると思います。


………


今回の「わたし」の『わたしを救った芸術』も紹介してます。

「ココロとコトバ」「芸術はわたしを救う」は、【がん治療の経験者さん・経験者さんを身近で支えた方】にご協力いただき、企画を運営しています。

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