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しょうがない語ってやるか。

朝からTVでゴールデンボンバーの新曲のMVを見ました。いい曲。

こないだツイッターでも呟きましたが、「平成に懐かしいものなんかない。みんな、ついこないだのことばかりだ」という思い。

平成の始まりは、昭和天皇の死(の知らせ)と同時でした。もう何週間も夜中ずっと「今日の天皇の御容態」のテロップが固定されていた時代。体温とか「下血」の文字。背景は皇居の景色の静止画(なのか、もしかしたらずっと定点カメラ中継だったのかもしれません)で。
1月7日の早朝、この知らせを受けたときわたしは大学の4年生でした。とはいえ実は「留年しよう」と心に決めていた時期。まもなくの卒論提出日をスル―すれば、無条件に卒業はお預けになる、そして留年した年度は学費が半額になるというのでそれなら自分でバイトしてなんとか払えるはず、という企みをずっと抱えて提出日が過ぎるのを待っていた頃でした。確か土曜日。
TVはたぶんCMのない沈んだ空気で(後の大震災のときと同じ感じ)一日が過ぎて行き、その中で次の年号が「平成」と発表され、「パッションがない」などと語る街の人を見かけた記憶があります。あの頃は「昭和が終わったら大規模なテロや反乱がおきる」とまことしやかに語る人がいて、どきどきしていたものです。そもそも天皇が亡くなったのは年内で、松が明けるまでひた隠しにして待ってた説とか。こういう陰謀論やトンデモ説が今よりも数倍の説得力を持っていた頃。

それと比べて今回のお祭り騒ぎ。

本当に、明仁天皇はすばらしい提案をして下さったと思います。

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平成に何をしたのか。

さっきも言いましたが、「平成に懐かしいものなんかない」と思います。それ以前の中高生、大学時代に見聞きした音楽や本や雑誌や服、流行のあれこれは「懐かしい」と思うけれど、平成以降の流行ものには全然心動かない。それはいかに自分を亡くして生きてきたのかという証明に他ならないのかもしれません。

主にしていたのは、子育て、なのでしょう。

平成3年に結婚して、平成7年の秋に最初の子供を産みました。平成13年に二人目を産んで、今ふたりは23歳と17歳です。

平成の自分たちの写真を見ても、どこか「ヒトゴト」感が拭えません。「〇〇くんママ」と呼ばれた時代に象徴されるような、滅私奉公感。びっくりするほど記憶が薄い。

ここ数年は、ようやく「自分」の範囲を広く濃くすることに成功しているように思います。好きなものを語り好きなことを仕事にして、好きな人を選んで会いに行って、熱く語る。平成の最初の7年と終わりの5年くらいを除いた20年足らずの時代は、からっぽでした。

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なんだろう、これは「育児」というものが持つ暴力的な支配力にやられていたのでしょうか。とにかく従え、という、正体のない世間様の声。もちろん、子育てをしている人が全てそんな従順に過ごしているわけでもないのでしょうが、…結構いい加減にやってたはずの自分でもこんなに縛られていたのだなあと笑ってしまう。

わたしだけ?

「育児中」という名に甘んじていただけかもしれない。いや、どっちかというとコレか。本当ならもっと自分に濃い時間を割くことも出来たはずなのに何もしなかったことへの言い訳。

これだな。

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新しい時代を迎えて。

もう、今までのように何かに没頭する時間はないかもしれません。note見ていたらIshidaさんが「令和は余生感が強い」と仰ってましたが、まだまだそっちには流れないぞという思いも込めて、令和の時代をしっかりと生き直そうと思います。

ということで午後から渋谷に行くぞ。会いたい人に会いに行くぞ。

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↑の写真は去年の3月末の頃の武道館あたり。

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