【挫折学】講義⑰「『やりきった』と思ったら、自分に合格点を出す」
多くの人は、挫折経験を「乗り越えなければいけない」というふうに思っているかもしれません。しかし、私は、挫折経験は「必ずしも乗り越えなくてもいい」と考えています。
「その挫折を乗り越えなければ」と思えば思うほど、よりつらい状況に追い込まれてしまうこともあるのではないでしょうか。その経験を糧にするためには次に絶対結果を出さなければいけないということで自分をどんどん追い込んでしまう、そういうケースもあるような気がします。
しかし、そういった経験を、無理に結果で乗り越えようとしてしまうと、また次に結果が出なかったときに、大きなジレンマを抱えることになると思います。
なので、もし仮に「挫折を乗り越える」ということで考えるのであれば、これまの講義でもお伝えしたように、最後までやり切ったかどうかという部分にフォーカスしてほしいのです。そして、もし仮に途中で自分から投げ出してしまったという挫折であれば、「次は何とか最後までやってみよう」という思いで取り組むといいと思います。でも、少なくとも「やりきった」と自分で胸をはれるのであれば、結果は挫折とは考えないでもいいんじゃないかなと思うわけです。あくまでも「やりきった」ということで自分に合格点を出してあげるのです。
もう30年近く前のことですが、私には、がん罹患による挫折に加え、高校のサッカー部に仮入部したものの、正式入部を待たずして早々にドロップアウトしてしまった挫折経験があります。
100名近い新入部員に対して、日々繰り返される振るい落とし。肉体的なことには耐えられたのですが、精神的な嫌がらせや理不尽なことにはどうしても我慢ができませんでした。そのまま残っていたらどうなっていただろう、と今でも思うことがあります。
もしかしたら、3年間在籍していても、結果は出なかったかもしれないし、レギュラーにはなれなかったかもしれない。夢だった全国大会にも恐らくはたどり着けなかったでしょう。それでも、途中で投げ出さずにやり切ることで、得られたものはきっとあったと思うのです。
「挫折を力に変える」ということもそれと同様です。もちろんそういうことができる方はいいと思いますが、むしろ、挫折を力に変えるというよりは、やりきったという事実を、また次のときに、力に変えていくというのがいいのではないかなと思います。
自分の目標や夢がある程度実現可能性が高いものならいいのですが、可能性が低い場合はどうしても強豪やライバルがたくさんいるわけです。その中で勝てる人は一握り。そういったときに毎回毎回結果を追っていくと、自分がどんどん息苦しくなってしまうでしょう。
しかも勝てる可能性は決して高くない。それで自分をすり減らしていくのではなくて、あくまでもそのプロセスを大事にしてあげてほしいなと思うのです。
(【挫折学】講義⑱につづく)