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緩和ケアのartを求めて

サイエンスとアート

Medicine is a science of uncertainty and an art of probability.
医学は不確実性のサイエンスであり、確率のアートである。

カナダの医学者William Oslerの言葉ですが、医学・医療にはサイエンスアートの両輪が大切であるということは古今東西に伝えられています。

scineceの重要性については言うまでもありません。現代の医療は、エビデンスなしでは成り立ちません。一昔前は経験主義が罷り通っていて、がん医療の叙事詩『がん-4000年の歴史』などを読むと、先達たちが試行錯誤をしながら「がん」の根絶に心血を注いできた歴史がよく理解できます。

薬剤や治療の純粋な効果を検証するために、研究や統計の手法はより洗練されてきました。いわゆるランダム化比較試験などの質の高い研究が蓄積され、システマティック・レビューメタアナリシスなどを通して、最も確かで最適な治療方法がガイドラインなどで推奨されています。そのおかげで、国、地域、医療機関ごとの治療方針に大きな差がなくなりつつあります。

artと言うと、芸術美術技術という言葉がまず浮かんできます。例えばもの凄く腕の立つ外科医の手術を目の当たりにすると、他の医師たちから「美しい」と称賛されることがあります。手術の痕がきれいであること以上に、その外科医の手の動きに魅了されるようです。

医療はいのちと隣り合わせですから、人と病の間(あわい)にはartisticな要素が現れてくることもあります。文学、絵画、彫刻、演劇、映画、俳句、短歌などの作品の中に、医療にまつわるartを見出すのは容易なことでしょう。

Artはどこに?

ここでは、医療や緩和ケアに関連する英語の中で、artという文字が含まれる言葉を探してみたいと思います。それでは、art探しの旅に参りましょう。

Heart(こころ)

医療現場において、heartこころ)は欠かせません。心ない医療従事者の態度や言葉が、どれほど多くの患者さんやご家族を傷つけてしまうのか、お気づきの方も少なくはないのではないでしょうか。また、私たちが生まれてから一日も一分も休むことなく働いてくれているのもheart心臓)です。heartの大切さは、すべてのいきものに共通しています。

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Partner(ともにあるもの)

私たち医療従事者はみな、患者さんとご家族のパートナー(partner)です。診察やケアを通して直接触れることもあれば、間接的な関わりのみのこともあるかも知れません。しかし、partnerなくして、人は病と向き合うことができないのではないでしょうか。

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Artifact(作品)

患者さんは、どちらかというと私たちよりも年配の方が多いです。趣味を通り越してプロ並みの技をお持ちの方にも沢山お会いしてきました。この写真は、ある患者さんの作品で、粘土から作られています。病棟内に飾ることで、他の患者さんが喜び、それを知った本人がさらに喜ばれる。喜びの連鎖が生じます。もし、あたなが入院したら、飾って欲しい作品artifact)はありますか?

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Party(パーティー)

病院は病気を治すための場ですが、緩和ケア病棟への入院は少し趣が異なることもあります。身体、ご家族のご都合などにより家で過ごせない方も少なくありません。そのような中で、少しでも楽しみや喜びを演出できるような取り組みがなされています。誕生日パーティー(party)はその代表格です。

この患者さんは、「生まれて初めてこんなに盛大に誕生日祝いをしてもらった!」と大喜びでした。長い人生の中のわずかな時間ですが、「生きていて良かった」と思える瞬間を分かち合うことができるのは有難いことです。

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Participate(参加する)

イベントに参加する(participate)にもartは含まれています。ビール好きの息子さんのために、ご両親がパーティーを主催してくださいました。いつの間にか人が集まってきたのですが、後日、お父様が「あの時、息子のためにみなさんが集まってくれたことが何よりも嬉しかった」と仰っていました。みんなで同じ時間同じ場所同じ雰囲気を楽しむことは、美しい思い出につながります。

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Party(仲間)

多職種チーム医療という言葉は、今や一般的になっています。医療そのものも関連する制度も複雑化してきており、患者さんやご家族の多様なニーズに応えるためには、チーム医療を実践していくしかありません。険しい山を登るには、支え合う仲間(party)が必要です。

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Chart(図示する)

私たちは、ある程度の予想を立てて生きていることが多いのではないでしょうか。多くの方が、貯蓄、投資、ローンなど自分のライフプランを見据えておられると思います。

ところで病気に関してはどうでしょうか。病には主に3つのパターンがあることが以前から指摘されています。認知症・老衰などは活動性が低いまま経過しますが、心不全などの臓器障害は一時的に悪くなっても治療により回復していきます。一方で、がんの場合には、だいたいお亡くなりになる1~2月ぐらいまでは元気なことが多いのですが、急に調子が悪くなると言われています。

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「この先、急に悪くなるのがわかっていたら、気持ちの準備も身辺整理もきちんとしておくべきだった」と後悔するのは残念なことです。でも、患者さんからすれば、初めての経験なのでわからないというのが本音でしょう。もちろん、将来のことはわからないことだらけです。しかし、医療従事者は経験からだけでも、将来の軌跡(trajectory)を図示(chart)することが大切なのではないでしょうか。

Particular(特別な)

起きる、立つ、歩く、坐る、食べる、排泄する、入浴するなどの行為は、普通の人にとっては極めて当たり前のことです。しかし、病のために日常生活の基本的動作がしにくくなってきます。私がお会いした多くの患者さんは、どこか特別の場所に行って特別なことを楽しみたいというよりも、「普通でいたい」「普通の生活がしたい」という方が多かったです。人の手を借り、道具(車椅子、手すり、介助浴槽、ポータブルトイレなど)の力を頼ることで、当たり前のことが特別な(particular)ことに変わるのでしょう。

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Parting(お別れ)

多くの患者さんやご家族と接する中で、最期に「さようなら」を伝えられる方は少数派です。一日でも長く生きていたい、生きていて欲しいと願うのは当然のことです。同じ明日が、また来ると信じているのは私だけではないでしょう。しかし、人には今世での役目というようなものがあるようで、その役目を果たしたとき、私たちは旅立たなければなりません。

旅立つ前の身支度のために様々なものが考案されていますし、最近は「人生会議」などのように家族や医療従事者との間で相談をしておくことも勧められています。ですが、どんなに準備をしても、なかなかうまくできないことがあります。それが、家族、友人、お世話になった人への「さようなら」「ありがとう」「ごめんなさい」「またね」などの言葉を伝えることです。

生まれてから今日まで、私たちは多くの出会いと別れを繰り返してきました。お別れ(parting)の中にはartが内在しています。でも、いつか二度と会えないお別れをしなければなりません。

そうであるならば、隣の部屋で眠る前、病室にお父さんを残したまま帰宅する前、すっかり痩せてきたお母さんを実家に残して後ろ髪を引かれるような思いで自宅へ戻る前、泣いてもいいから大きな声で「さようなら」と言ってみましょう。そして、再び会えたときには「また会えたね!」と喜べばよいのではないでしょうか。

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Departure(門出)

人はみな、いつかは旅立ちます。死という言葉は一般的には悪いイメージですが、向こうの世界がもしあるとすれば、新しい旅のはじまりでもあります。門出(departure)という言葉は、「門出を祝う」などのようにおめでたい場合にも使われます。遺された立場からすれば、別れというのは寂しくつらいことです。しかし、新たな門出を迎えた人へのエールを送るという見方もあるのではないでしょうか。そこにもartが隠れています。

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リンゴの樹を植える

ドイツ宗教改革の指導的神学者マルティン・ルターは、有名な言葉を遺しています。

Auch wenn ich wüsste, dass morgen die Welt zugrunde geht, würde ich heute noch einen Apfelbaum pflanzen.
たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える。

とても勇気づけられる言葉です。どんなに過酷な状況下であっても、明日はどうなるかわからなくても、最後まで諦めずに希望を持ち続け、今日できること今できることを精一杯行うというルターの励ましのメッセージを大切にしたいと思います。

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そう言い忘れましたが、ルターの名前はMartin Lutherです。彼の名前にもartが隠れていますね。

アートとサイエンス

医学や医療におけるサイエンスが発展することは望ましいことです。一方で、もっと人間的なもの、エビデンスでは言い切れない曖昧模糊としたものの中にこそartは隠れているのかも知れません。両者のバランスが成立するときに、真の医療がもたらす恩恵を私たちが提供し、患者さんやご家族は享受できるのでしょう。

artとscience

この2つは対立するものではなく、相補的な関係であると思います。ここで思い出されるのが、道教に象徴される太極図です。あらゆるものごとを陰陽に基づいて説明していますが、非常に含蓄のある考え方です。

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陰極まりて陽となり、
陽極まりて陰となる

陰中陽あり、
陽中陰あり
artが極まるとscienceとなり、
scienceが極まるとartになる

artの中にscienceがあり、
scienceの中にartがある

artscienceに置き換えても同じことが言えます。実際、一流の医学誌に掲載されるような論文は、臨床試験のデザインも考察も美しく感じることがあります。また、最初にお伝えしたように、いわゆるGod hand(神の手)と称される外科医の手術は、芸術的であると絶賛されます。

これで今回のartを探す旅は終わりです。artscienceの両輪をバランス良く回すことの大切さも含めて考えてみました。もし、他のartを見つけた際には、是非教えてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

大坂 巌(おおさか いわお)
社会医療法人石川記念会HITO病院 緩和ケア内科 部長。1995年千葉大学医学部卒業。静岡県立静岡がんセンター緩和医療科(2002~2018)を経て、愛媛県で病棟、外来、在宅にて適切な時期に最適な緩和ケアを提供することを模索中。


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