バレエ小説「パトロンヌ」(43)
蜜月の夜が明けた時から、ホセの苦悩は始まる。カルメンの心には羽がはえていた。自分だけのものには、ならない。
カルメンのそばにいたくて、カルメンの一番の男になりたくて、ホセは言われるまま強盗にまで身を落とす。そこまでして、ホセはカルメンの何がほしかったのか。ホセはカルメンの、いったい何を愛したのだろうか。
逆に、カルメンにとってホセは、どんな男だったのだろう。牢屋から逃がしてもらうために色目を使い、イイ男だったから勢いで一夜を共にし、何でも言うことをきくから脚で使いまわし、骨抜きになって魅力を感じなくなる。にもかかわらず支配欲だけは強いので、うるさくなって捨てた。そんな、どうでもいい男、単なるワン・オブ・ゼムとの遊びだったのだろうか。
カルメンを追って闘牛場の前に現れたホセ。闇の中、追い詰められたカルメンの影と、にじり寄るホセの影が、闘牛場の壁に不気味に照らし出される。ダン、ダン、ダン、ダン……太鼓の音が響く。背を丸めて前かがみになった両者が間合いを計って距離を保つその影は、角を突き合わせる2頭の牛にも似ていた。
突然、2つの影は1つになって、ホセの胸の中でカルメンは崩れ落ちる。ホセの手には、血塗られたナイフ。幕。ビゼーの音楽とともに、幕。
ホセがカルメンを刺したのか、あるいはカルメンがホセの腕の中に飛び込んで刺されたのか、どちらともとれる幕切れだ。どちらともとれる。だがミチルには、刺されたDDカルメンの顔が、恍惚として見えた。これはプティの考えではないだろう。プティのミューズは本能で愛し、本能で捨て、男に残すのは、運命と死のみ。本気で男に惚れはしない。
では、あの表情は?
出口の見えない恋、というものがある。だから女はこの恋をあきらめた。男は、あきらめきれなかった。カルメンはホセを捨てたけれど、嫌いになったからではない。だから最愛の男の「あきらめきれない」恋の刃を、カルメンは、自ら受けとった。そうに違いない。それはDDの解釈であり、甲斐の解釈であっただろう。2人はかつて恋人同士だった。そして別れた。別れたけれど同じダンサーとして、両者は深いところでつながりあっている。そんな2人の関係が、この幕切れの解釈に何らかの爪痕を残したように、ミチルには思えたのである。(つづく)
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