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バレエ小説「パトロンヌ」(33)


寺田甲斐のロイヤル電撃退団のニュースは、ミチルにも届く。彼女はそれを複雑な思いで聞いた。

「なぜ、今?」

甲斐を通して初めて知ったロイヤル・バレエ団ではあったが、ミチルはこのバレエ団の雰囲気が好きだった。さすがシェイクスピアのお国柄とでも言おうか、ダンスの技術だけでなく、ストーリー性を重んじた作品作りが気に入ったのだ。事実、ミチルは「ロミオとジュリエット」を、ロイヤルバレエ団の公演を見て初めて「こういう物語だったんだ!」と理解できた。他のご婦人を追って舞踏会に紛れ込んだロミオが、社交界慣れしていないジュリエットにひと目で惹かれ、まっしぐらに彼女だけを見つめ追っていく様子。箱入り娘のジュリエットにとって、生みの母より乳母の方が本音で話せる背景。知らない男の元へ嫁げと突然親から言われ、相思相愛のロミオへ益々傾倒していく青春の恋。ロミオにだってその日会ったばかりなのだが。それでも初恋の力は大きい。人生で最初に心ときめいた男への気持ちが全てであり、そのまま成就しなければ嘘だと思い込む、若すぎるがゆえの純粋さ、幼さからは想像できないほどの暴走。そして墓場のシーン。ジュリエットの死体と踊るロミオの表情からは、切なすぎる愛の悦楽がほとばしり、逆にジュリエットは、仮死状態から目覚めた途端、愛する男が死んでいると知って陥る絶望。その奈落の深さ。バレエに言葉はない。けれどバレエを観た後は、難解と思っていたシェイクスピアの、一つ一つの言葉が心に染み、脳裏には音楽と、舞台の映像がぐるぐると回るのだった。

でも、甲斐が演じるのはロミオでなく、いつもマキューシオなのである。プリンシパルつまり「主役級」のダンサーになっても、回ってくる主役は「ドン・キホーテ」のバジルか「バヤデルカ」のソロル。ガラ公演でパ・ド・ドゥだけならまだしも、全幕となると「白鳥の湖」では道化役、「眠れる森の美女」ならブルーバード。大きなジャンプや高速ピルエットといった派手な技術を示せるものばかりで、ノーブルな王子役にはおよそ縁がなかった。「東洋人初」の入団者であり、「東洋人初」のプリンシパルである甲斐は、その跳躍や技術は買われても、絵本から抜け出たような典型的な王子様ルックでなければ、クラシックバレエの代表作で主演を踊ることは許されないのだろうか。実際問題、甲斐は「ジゼル」のアルブレヒト、「眠れる森の美女」の王子、「白鳥の湖」の王子を、すべて日本のバレエ団でのゲスト出演で初役を果たしている。英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルでありながら、だ。結局は組む女性ダンサーとの身長差、手足の長さや首の長さによってキャスティングが決まるのかと思うほど、甲斐に与えられる役は大いに狭められていた。

ただ、逆もまた然りで、相撲界に初めて外国人力士が登場した時、日本人がどう反応したかを知れば、長い間定着した文化の中で外見的な違和感を克服するには時間がかかることは、何となく察せられた。それはイギリスとかバレエとかに限ったことではない。「東洋人初」の甲斐が切り拓かねばならぬ山は険しく、彼がそれを軽々と越えていくからといって眩惑され「大したことはない」と思ってしまうことの方が、大きな勘違いなのだろう。ミチルも甲斐のファンとして、そんな「ガラスの天井」が気にはなっていたし、だから「いつかは甲斐もロイヤルを去るだろう」という考えを、漠然とは持っていた。

でも今じゃない。絶対、今じゃない!

ミチルは信じていたのだ。「他流試合」であっても実績を積むことで、ロイヤルでも全幕で王子様をやれる日が必ず来る、ロイヤルにおける「東洋人初の王子」が絶対できる!……と。

だが甲斐は、離れるのは今だと決めた。(つづく)


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仲野マリ
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