バタイユ周辺③
バタイユが生前果たせなかった本の企画に『聖なる神』というタイトルがある。翻訳家生田耕作はバタイユ著作集において、この幻の企画を復元しようと試みている。
バタイユ著作集『聖なる神』生田耕作訳 二見書房
つまり、バタイユ没後、その構成がメモされた一枚の紙片とこのメモから発展したと思われる一群の原稿束が発見されたことにより、名作「マダム・エドワルダ」を中心とする一冊の本の企画が明らかになったようだ。これは「マダム・エドワルダ」最初の地下出版から15年後の1956年、新版出版時にはすでに考え始められていたようである。
生田耕作がこの解説を書いた頃には未発表であったバタイユの遺稿該当部分の一部が現在では翻訳され(『聖女たち-バタイユの遺稿から』吉田裕訳 書肆山田)、我々はよりバタイユの企画に近い状態で読むことができるようになった。
最終的に総題は『聖なる神』となり、巻頭は、あの、本文に匹敵するほど衝撃的な『マダム・エドワルダ』ポーヴェル社版の序文から始まる。
なんとも凄まじい序文である。まだ本文も始まらぬうちに、我々はカレンダーに赤い印をつけることを強いられてしまっている。この激烈な序文が書かれた経緯は『聖女たち』の解説に詳しい。
1941年ピエール・アンジェリック名義で50部のみ出版された『マダム・エドワルダ』は1945年、挿絵を加えてもう50部出版されるものの、その後は著者さえ写しを失ってしまう程に忘れられていたようである。しかし1954年頃になって新版と英訳の話が持ち込まれる。
15年前の自作に対するこの「衝撃」が、あの序文を書かせたのであろう。しかも余波はそれにとどまらなかった。
序文に続き「マダム・エドワルダ」、そして次に「エドワルダ」の前日譚、ピエール・アンジェリックの少年時代を語る「わが母」(未完)が配置される。ここまでは生田耕作訳で、そして、母の死後の物語「シャルロット・ダンジェルヴィル」(未完)は吉田裕訳で読むことができる。いずれも未完とはいえ、と言うよりも、むしろ未完であるがゆえに、作家の思考の流れ、中断、試行といったものさえ、なまなましく伝わってくるようである。この感覚は以前、メルロ・ポンティの遺稿『見えるものと見えないもの』を読んだ時にも感じたことがある。交錯する断片に翻弄されながらも想像力をかき立てられる昂揚した時間…。
付録の「エロティシズムに関する逆説」という論文は、『聖女たち』に収録されているいる断片を読む限り、かなり初期的な草稿しか残っていないようだ。一方生田耕作が留保付きで収録した同タイトルの雑誌掲載文は、サド、クロソウスキー、「O嬢」などに言及しながら、エロティシズム文学一般に関して語っている点が非常に興味深い。
そして、企画には含まれないながらも同一の原稿群から発見された「聖女」と呼ばれる印象的な断片さえ我々は読むことができるのである。この断片では「鞭と女」というサド以降の典型的なアイコンを使った、到底サドには書けない(書こうと思わない)、バタイユならではの美意識に飾られた繊細な情景を見ることができる。
この、テレザの飲みっぷりに『青空』のダーティ=ロールの面影を見るのも、また一興であろう。
「遺稿」に対して起動される発掘、検証、様々な解釈。遺稿それ自体が持つ隠蔽性によって研究者、編集者、翻訳家は引きつけられ、その断片性が彼らの想像力を掻き立てていく。そしてそれら複合的な効果が、或る種の「迫力」のようなものを伴って最終的に我々読者に伝わってくるのだ。『聖なる神』という企画は未完であるがゆえに動き続けているひとつのプログラムとして、現在も機能しているようである。